西井の詔 2016





其の百六 12月27日 

  

今年は実に楽しい1年だった、という事にしておく。
いや実際、本当に楽しかったんだけどさ。
毎年そンなもンなのかもしれないけど、今年はもう、いろんな出来事が、えんりょするという普通の事ができないモンスター化したエピソードとなり、こちらの都合はナシでいっぺんにドッカン、ドッカン現れる。
しょうがねェ。
いい事も、悪い事も、楽しかった事も、つらかった事も、全部まとめず来年へ持ちこす。
うんとこ、どっこいしょ。
ハシからハシまでズズズィィィィィィィと持っていく。
来年楽しみだなァ。またヨロシクね。
そこンとこヨロシクゥ。




其の百伍 十二月二十二日 

  

Boy

たいくつなクリスマス なんだかイヤミなパーティー
こんなに大ぜいの人達が集まって、
あちらこちら色んなテンポで みんなそれぞれ、らしいステップで
今にもダンスが始まりそうなのに。

僕はここにつったったまま、ひとりだ。

流れているショパン、カベにかけてあるロートレック
シャンパン、マカロン、チョコレート、アルマニャック

じゃあね。僕はもう行くよ
メリーゴーランドのようなパーティー
ティ・カップのようなパーティー
さようなら
たった1人で逃走中





Lady


パパンがパンとクリスマスッ!
レッツゴーレッツゴー トナカイレッツゴー
レッツゴーレッツゴー トナカイレッツゴー
すてきにかざり付けたアタシのソリ
おしゃれさせた赤いおハナのトナカイのタヅナを今日は
アタシがとるの 長くて大きなドライブになるわよ
YYY…Yeah!! Hoo!!


まだ夜が深いうちに可愛いあの娘が夢見る間に
急いで、急いで、そおっと、そおっと、
早く、早く、早く、ゆぅっくり、ゆぅっくり、
あの娘のすぐそばまでのりつけて
やさしい寝顔のそのよこに
アタシが選んだプレゼント。ほんとにもう本当あなたみたいにキュートな
ステキなプレゼント
置いてくわよ、そしてそのホホにキスして、にげるヮ








其の百四 十一月三十日 

  

前回からの流れで、ボブ・ディランの "Mr.タンブリンマン" である。
この歌は、えーっざっくり言うと不眠症の少年が、タンブリング奏者という謎の男に夜中、彼について廻り、あげく果てには僕をどこかへ連れてってなどとだだをこねる。
めんどくせーヤツ。

少年はさんざん眠くない、行く所がないとラチもない話をくり返すだけでタンブリング奏者の情報はこちらにまったくくれない。彼の実体が見えてこない。
"Mr" だから男性であるだろう。夜中にタンバリンを叩いている。危なっかしいヤツであろう事は想像がつく。薬やってンのか。船を持っている、少年がスゲー船だというからには、海に出る事の出来る最低でも10トンのそれを持っているのだろう。
しかし、ユニオンのきびしいアメリカで、たかがタンブリング奏者がそんな船など買えるものだろうか。しかも、毎年大変な維持費を支払わなくてはならない。元々コイツは金はけっこう持ってるのかもしれない。ブルジョワジーの出だとか、セレブリティの中のひとりだとか。ああ、薬やってそうだなァ。 だいたい少年は不眠症を言いはっているが、本当だろうか、全てはヌクヌクしたベッドの中でよだれをたらしながら見た夢ではないのか。それとも少年はやっぱり、このワケわかンないヤツの後に付いて今もどこかへ歩いているのだろうか。 俺はこの歌が大好きだ。

ここ阿佐谷には "Mr.ハーモニカマン" がいて、こちらには実体がある。商店街の路地を入るとすぐに公園があるのだが彼は雨の日以外はまァほぼここにいる。年金ぐらしだそうだ。
ジーパンにジャンパー、サンダルばきでスティーヴィーワンダーがふいていたようなクロマティック・ハープを持っている。ハーモニカじいさんの一回の演奏は短い。たいていは4小節くらいの昭和歌謡のようなフレーズを吹き、ヴィヴラートをきかせたエンディングで締める。1分あるかないかだろうか。 これをベンチに座って日がな一日ずーっとやっている。どのくらいのSt.になるのか。
ハーモニカじいさんの前には空きカンだのボウシだのというものは置いてない。彼はコジキではないのだ。 1年くらい前には同じ公園に "Mr.ギターマン" もいた。ハーモニカじいさんと年かっこうはほぼ同じで奇妙に似ている、昭和歌謡、4小節、ハデなエンディングである。
彼らは別に友達だとかの仲じゃないらしく、Yeah DoMo、くらいのアイサツはするが二人は公園のベンチのアッチとコッチでそれぞれのステージをもくもくとこなしている。
二人でのセッション等もちろんない。
ギターじいさんの前にも空きカンやボウシはない。彼はコジキではないのだ。
1年前と書いたが、ここンとこギターじいさんの姿を見ない。死んだのだろうか。





其の百三 十一月四日 

  

あれっ、なァンだ、ボブ・ディラン。もらうのねノーベル賞。もう、押し戴くのね。ガタガタ言ってる人もいるらしいけどいいんじゃないでしょうか、賞とかサーとかみんなもらってるもンね。 よォォォォ。御目出度う御座います。





其の百二 十月二十六日  

  

ボブ・ディランとノーベル文学賞、もめているらしい。
やるとかいらないとか、合意はあったのか、無かったのか。あれ、混線してるな。
ボブ・ディランとしてみれば
「俺は金持ってんだ、はした金でいまさらどんなレッテルも貼って欲しくない。あのポンコツ共に評価なんぞされたくない」 とか。
文学賞側は、公になっていれば詩、戯曲、小説に限らず賞の対象にするのだ。フォーク、ロック、ポップス等も例外ではない。というアピールもあってタイミングを計っていたのではないか。 この歳になってもLIVEをやってる。偉いモンだというのもあるだろう。死んじゃったら賞の対象外になっちゃう。今のうちやっとこうぜ、後つかえてるし、みたいな。
おれにとっての ボブ・ディランはちょっと話が長い。
幼い頃、判で押したように長髪で、Tシャツで、当時ラッパと呼ばれたジーンズをはいている人がわんさかいて、力の者はチューリップハットなどと呼ばれていたモノを頭にチョンと乗っけてたりするのである。 彼らは「ボブは神様なんだ」と言った。
彼らの宗教には近づきたくないと思った。
ふれないようにした。
くわばら、くわばら。
そんなもンでボブ・ディランをちゃんと聞くようになったのはもう17,18歳だったと思う。友達がディランのファーストを持って来て俺に聞かせやがったのである。 ケッ。と思ったが聴いてみると、あれェ、いいなこれ、とってもいいなァ。それは漫然と思っていたボブ・ディランとはまったく違うモノだった。 レッテルとはこんなふうにも作用する。
その事があってからすぐ、偶然ラジオでボブ・ディランオリジナルの "Mr.タンブリンマン" を聞いたのである。
それまでこの曲はバースとかなンとかいったバンドのどーでもいい曲として俺の頭の後ろを流れていっていたが、オリジナルは胸に降りて来た。以来どこに入信する事なく1人でよく聴いている。
ノーベル賞関係のどっかの女がマスコミに対して「彼の歌は読んでもいい。いやむしろ読んでほしい」と言っていた。
シンガーソングライターつかまえて失礼な話である。
再び書くがバースのバージョンとディランのバージョン、もちろん歌詞は同じである。メロディも、まァァほぼ変わらない。
シンガーソングライターはまず声である。文字ではなく、口に出した時の言葉のひびきで勝負しているのである。
歌詞だけそこにポンとあったってたいした事ない。参考書でしょ、せいぜい。
三たび書くが、バースは知らない。阪神クビになったヤツか?ディランのを聴いて "Mr.タンブリンマン" を知ったのである。
賞側の中にいる小説家の一部が大人げない対応だとコメントしている。ボブ・ディランにそれを求めるのが無理だろう。
自分はもっと大物と思っているのかも知れないともコメントしている。
だって金も持ってるし、なによりおおものでしょ、ボブ・ディラン。





其の百一 十月十日  

  




ゴメスは今、俺には怖くて口に出せそうにないミッションを果たすべくバンドを2ヶ月お休み中である。
ゴメスがんばれ。生きて帰って来い。
ゴメスはただ休むだけではなくリチギというかバンド愛というか。
スケットのドラマーを呼んでくれたのである。


その名は「ナヴォ」「ナヴォの名はナヴォ」

ナヴォも又、すばらしいドラマーである。
今月12日、俺、向井、浅野、ナヴォ
このメンバーで吉祥寺GBでLIVEをやる。
あっけらかん。





祝!其の100! 八月十日  

  

夏だ!サマーだ!!サマーランド、一度行ってみたいなァ。
今回のズンドコVOL.5。その場にいた人みんなの活躍でとても楽しいLIVEになった。
Thanks。

盟友シャーミンもこの日、「虚構のクレーン」として出演してくれた。一緒にオーキィードーキィーズと名乗ってバンドをやっていた事もある。
なにより、俺はヤツがシャーミンではなく、キャプテンと呼ばれていた太古からの友人である。平安時代からのくされ縁と言ってよかろう。
そして何が、縁だっつったってこの日、LIVEがハネてその場でウチアゲとなり、なんとその日がタマタマ向井君の誕生日だ、と言う事がバレて、宴は益々盛り上がる。
ところがその時、みんな笑顔のその中で俺一人作り笑顔をひくつかせ、グッドマンの楽屋、その他をアチコチバタバタと走り回っていた。

ケータイを失くしたのだ。

本番前にギターケースの小さなポケットに入れておいたはずだ。それが無い。LIVEでMAX上がった血の気がスーっと引いていく。
どこまでも引いていく。
Oh!my GOD!おお私の神よ。
探し回ったが見つからない。
俺の目のうつろに向井君が気が付き、その訳を話した。

「ともかく、鳴らしてみよう」

そこら辺にポイと放り投げてあるならその場所から俺のケータイのコール音が聞こえるハズだ。

向井君は俺の番号にかけてくれた。
反応が無い。あちこち耳をすませたが何も聞こえない。

「おかしいね、店の外で落としたとかはある?」

「いや、無いハズなんだけど」

そうこうしたやりとりをしていると向井君のスマホが鳴った。

「あれ、誰だろう?あ、もしもし向井です、あ、シャーミン!うん、うん、あん、あっそうギャハハ!あーうん、そうだね、じゃ西井君にかわるよ。西井君、シャーミンだよ」

シャーミンは俺がケータイ無いとさわぎ始めるちょっと前に店を後にしていた。

「シャーミンだよ。お前のケータイ俺が持っているぞ、俺のベースケースから何ンか音が聞こえると思ったらガラケー入ってた。お前のなンでしょ」

何ンてこった。俺は自分のギターケースのポケットに入れたつもりだったのだが、それはなんとシャーミンのモノだったのだ。

「今、銀座にいるけど、これから来ること出来る?」

正直、自信が無かった。

「ハハハッ、いいよ西井。明日の朝、阿佐谷まで持ってって上げるわよ。」

「ふにゃぁ。ありがとうシャーミン。」

次の朝、7:30から俺は阿佐谷駅の改札前でシャーミンを待っていた。

20分後、人ゴミの中でもすぐそれと分かるシャーミンが笑いながら、そこへやって来た。

改札のこちらとあちらでシャーミンはケータイを渡してくれた。

「ビックリしたぞ、ハハッもう、しっかりしろよ西井」

「うん、ごめん、ありがとう」

「じゃ、行くヮ」

シャーミンはワザワザ、銀座から阿佐谷まで、朝の電車に乗って俺のガラケーを持って来てくれたのだ。それだけのために来てくれたのだ。

本当にありがとう。シャーミン。助かった。

むし返すが、何本も並んだ楽屋のギターケースの中で、よく確認する事もなくポイとケースのポケットにケータイを入れた。それはシャーミンのケースだったのである。
間違えたが、それが、シャーミンので良かった。他の人だったら、さすがにこんな事までしてもらえなかったかも知れない。
迷惑だけ掛けてこんなこと言うのも大甘だが、縁があったとしか思えない。

シャーミン 本当ありがとう。







其の九十苦 七月十三日  

  

永 六輔、亡くなりましたね。
大好きでした。
"上を向いて歩こう" は 誰もが一度は口ずさみ、これは自分の歌だと感じたはずです。
トークが好きでした。
かならずハナシに落ちを付ける、それがまるで捨てゼリフように聞こえて、カッコよかった。
昭和8年。浅草生まれの人でした。
セキ、声、のどに、浅田飴。







其の九十蜂 六月三十日  

  

この稿を書いている今日は、なんとザ・ビートルズ来日記念日なんだそうである。いろんなイベントが行われているらしい。
さすがビートルズ、来ただけでその日を記念日にしてしまうのである。
生野菜喰ってこの味がいいだの悪いだの言ってたヤツとは格が違う。山田たかお人気が今も健在という事もあるだろう。

50年前だそうだ。再び書くが、ツアー回ってるだけで記念日にさせてしまうのはビートルズだけだ。
俺の姉は50年前の今日、ビートルズを観に行きたいと、だだをこね両親を激怒させる。岡山県岡山市在住の小学3年生である。 いい姉をもったもンだ。

この目もあてられない親子ゲンカの現場に俺もいた。だが何も憶えてない。
俺はその時、ブチ切れている母の腹の中にいたのだ。
俺がこの世に出てくるのはこのアホな出来事から3ヶ月後になる。




其の九十質 五月二十五日  

  

この春、金箔荘にギターが届いた。
買ったのではない。義兄からのおくり物である。義兄に言わせると形見分けって事らしい。
この冬、義兄は倒れている所を姉に見つけられ、救急車で運ばれる、心臓が止まっていたそうだ。
救急車の中でも応急の処置があったのだろう30分遅かったら、もういけなかったらしい。
もう少しで俺のイトコや"土人"ノブヤやケンゾーやスエキチの仲間入りするとこだった。
生還した義兄はリハビリと共に終活と最近言われ始めた事を始めているようだと、姉は電話の向こうで笑ってみせた。
ギターは義兄が大学時代に買った物で、買ったワ買ったがずっとケースに入れっぱなしにしてほったらかしにしてたそうだが、できれば俺に持ってもらって時々それを弾いてほしいと言う事だった。
ギターは届いた。
ぶ厚いダンボールを開けると、中から全身をプチプチで慎重につつまれたハードケースだった。
あの梱包用のプチプチをみなは何ンと呼んでいるんだろうか。正式名があるだろうから、知っている方は教えてほしい。
ハードケースを開けると中にあったのはオベーションのエレクトリック・アコースティックギターだった。姉とは歳が8つはなれているが義兄とは2つしか違わない。義兄が大学生の時に買ったと言うその時代が香ってくるようなギターだった。
短い手紙がそえてあった。 ネックもブリッジも整生した、弾いてくれとあった。
ギターには真新しい弦が張ってあった。



其の九十六 三月二十九日  

  

その日は俺の住む阿佐谷金箔荘辺りでは、小学校の卒業式だったようだ。
俺は4日前にニュースで観た、桜の開花宣言を確かめに、自転車に乗ってテリトリーを巡回していた。
きれいに咲いた梅がある。ちってしまった梅がある。桜は3分咲きくらいか、まだ蕾のままかだった。
男の子達がネクタイをしめハズカしげに胸をはっていたり、そこいらを走り回ったりしている。女の子達がいつ終わるのか俺にはちょっと想像もつかないテンションであちらこちらでサークルを作り、おしゃべりを続けている。 校門に卒業式の幕がかかげてある。そうか、このガキどもは少ぉし、子供ではない、どこかへ向かっているのだ。
ヤハタくんからメールが来た。めずらしい。



スエキチが他界した事を知った。
訳が分からなかった。花が咲き始め、子供達はみな笑顔だ。
おおい。スエキチ。ちっともピンとこねえぞ。
こんな花の季節の中で、お前は 去くのか。
テメエ、フッかけてんのか。
俺らしいだろ、と笑っているのか。
皆、俺の前でひれふしたまえと笑っているのか。


そうであってくれ。
チッ、スエキチ、俺はお前より長生きする事になった。




其の九十五 三月二十六日  

  

"へたくそ"のスエキチが、昨日亡くなったと連絡が来た。
混乱しているし、まだ身にしみて分かってないのかも知れない。
また書く。




其の九十四 三月十一日  

  

今、分かっているのは背骨が1ヶ、ロッ骨が3本折れていたという事だけだ、しかもそれは30年以上前。
もしかしたらそれより以前に起こった骨折。
レントゲンを何枚も撮り、MRIに入った結果である。
その事たァ知ってたよ。忘れてたけど。
あ〜あ、とうとう病院へ行ったのである。
クソッ。
この半年くらいか、ドタバタと身体のどこもかしこもが悲鳴を上げ始めたのである。50歳だ、当たり前か。
この50年の間、ケンコーにいいとされているようなことは、おそらく一切やってこなかった。ケンコーにはよろしくない事ばかり毎日、続けた。 あるいはレモン・イエローの車にはねられたのも何分の1か原因にあるのかもしれない。
腰から背中、胸周りにドン痛やらゲキ痛が毎日あって、さすがにウンザリして白旗振って国民健康保険証をにぎって、あのクソな建物へ向かって行ったのだった。
病院へ行くと、待つねぇ。とにかく待つ。受付で番号札を受け取るともうとらわれの身だ。自分の番号を呼ばれるのをイスに座ってじっと待っている他ない。
その間タバコが吸えたり、酒を一杯やれる訳でもない。 トイレに行こうかと席を立つと何故か、その間をみはからったかのように、看護師が、急に目の前に出現し、この書類を見ろ、この1枚目から3枚目まで記入して再びここで待っていろ。と命じる。もうこちらとしてはなすすべもない。頭のスミにカミュのW審判Wがよぎる。 そう、時間がかかり、金がかかるのはこれからなのだった。 ああ。 。。。。。。。

2ヶ月以上に渡った検査は、ゾウガメのようにゆっくりと、ハツカネズミのようにバタバタと忙しく、金は増す増すかかった。
最後の医者が俺に言ったのは「酒を控えて、禁煙して下さい。」だった。
えっーーーーー。それだけ!!!!ェ




           

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