西井の詔 2010


其の四拾五〜元旦〜

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
みなさぁんっ。暴飲暴食してますかぁ−っ。Hip-de-Dipは2010年もだらしなぁく酒を呑み続けていきますっ。乞うご期待!


其の四拾六〜一月三十一日〜

  

先日、芝居を観に行った知人から聞いた話である。 演目は映画でも有名な『12人の怒れる男たち』 陪審員たちが、ただ1室だけでくり広げるセリフ劇である。ピンと張りつめた空気の中、話しはドンデン返しを重ねていき、かさクライマックスを迎えたその瞬間、「ピロピロピロピロピロ……」客席の最前列でケータイが鳴ったそうである。 劇場内は舞台上のドラマとはまた別の緊張感が走る。原因は自分だとハタと気がついたオバさんがハンドバッグをひっかき回し、なんとかケータイをひっぱり出すと「ピロピロピロ…」音はよりいっそう高くなる。あわてふためくオバサンは中々ケータイの電源を切ることができない。その場にいた全員がハラハライライラする中ようやく「ピロピロピロ…」音が消えた時には芝居もいっしょに終わっていたそうだ。 そんな古典的なオチがホントにあんのかよーと俺はその話しに笑ったが、思えば俺もマンホールに落ちている。(其の弐拾九参照)何があってもオカしくない現代に我々は生を受けているのである。 知人は最後の方はセリフなんてまったく聞こえなかったと怒っていたが音量のことはともかく、頭に来てセリフを聞き取るどころじゃなかったろう。 役者もハラワタ煮えくり返ってたろうな、1番いい所で「ピロピロピロ…」だもンなあ。舞台の上で大声を上げていようと大音量で楽器を鳴らしていようが客席での話し声やなんかは意外と耳に入ってくるもンなのである。ましてや最前列でピロピロ着信音だもの。劇場ではどこでも本番前に「電源を切って下さい」とアナウンスしている。 みなの怒りを買った後オバさんはどうしただろうか。 自らを恥じ、反省しただろうか。それとも電話を掛けて来た人に「何ンであんな時に電話してくンのよっ」と逆ギレしただろうか。 そう言えばケータイの画面をじいっと見つめたまま道の真ン中をふらふら歩いているヤツやチャリンコこぎながらメールを打ってるヤツがいるが本当あきれる。そのままトラックかなんかにひかれちゃえばいいのに。 近頃俺が思わずその場にたっぷり3秒は凍てついてしまったのは本屋の棚の前である。若い女の子が1ヶ所にじっと張りついて動かない。好きな作家のコーナーがそこにあって、どっちを買おうかと迷っているのか。しかし棚の前からあまりに近い。俺も本を見てみたいのだが。彼女をチラリと見てキョーガクした。彼女は本棚の前をジン取ってケータイのメールを読んでいたのである。 ジャマだ!他でやれ。


其の四拾七〜二月二十二日〜

  

こんな咄が好きである。
長屋の八っつぁんが大家さんの所へやってくる。
「大家さんはモノをよく知ってらっしゃいやすよね」
「まぁ、お前さんよりは知っておるかもね」
「そこで、たずねてェンですが、ウワバミっていますよね。ありゃなんだってウワバミってェんですかい」
「…何かい。お前さんはそんな事も知らないで今まで生きて来たかい。よくもまあやって来れたもんだ」
「へい、はずかしながら何ンとか。で、何ンでウワバミなんです」
「…そりゃ…な。よくお聞きなさいよ。えー、ウワがな、バミるだろ、だからウワバミだ」
「えっ。ウワってェのはバミるもンですか」
「ものを知らないお前さんはおどろくかもしれないが、…バミるともさ」
何んと言うかペーソスなどとはまったく無縁の、シャレな会話なんかからも最も遠い位置にある、いったいどこまで底がヌケているんだ小宇宙である。実にすばらしい。 俺もちょっとやってみよう。
「大家さん、サイケデリックってありますよね」
「ああ、あるね」
「ありゃ何ンだってサイケデリックって言うんですかね」
「そりゃあ、お前サイケデがリックるだろ、だからサイケデリックだ」
「ええっ!サイケデのやつ、リックりますか」
「リックるな」
「サイケデの野郎ー!」

「エレクトリックってありますよね大家さん」
「しつこいね」
「ありゃ何ンだってエレクトリックって言うんですかい」
「あのなー!…エレクトしてリックるからエレクトリックだよっ」
「…ちょっとイヤラシくなってきてませんか、だいじょうぶですか大家さん」
「考えすぎだっ!エレクトしてリックるからエレクトリック!」 「…そーかあ。くそ。どいつもこいつもリックりやがってうらやましい。ちくしょう、俺のカカアも早くリックにしてえ。」 おあとがよろしいんですか?


先日、生まれ返ったというところのビートルズの新しいヤツを聞かせてもらった。とにもかくにもあのビートルズの新しいヤツである。 …これ「ロール・オーバー・ベートーヴェン」だよなあ。
…こりゃ「ハード・ディズ・ナイト」じゃねえかよ。…「イエスタデイ」だろうがこれ!…「レット・イット・ビー」じゃねえか!てめえ!たいがいにしやがれ、新譜はどうした、新譜は。え、ジョンとジョージが死んでんだからそりゃムリだってェ。知ってらあ、そのくらいの事は俺だって。イタコ呼んで来いよ。イタコ呼んで2人の霊をおろしてもらってだな、ポールとリンゴとセッションでもなんでもやらせて曲つくれよ、新しいヤツだろ。んで新しいヤツ出したんだから当然ツアー回れ。イタコ2人とポールとリンゴで。ったりめえだろ新しいビートルズって文句で売ってんだからこのBOX。こんな商売やってっからビートルズゆかりのスタジオ売りに出さなきゃならなくなるんだEMI。ビートルズの音を何んでこんなにクリアにしなきゃいけないの。外科手術じゃねえてんだ。 ともあれ、俺は「ツイスト・アンド・シャウト」を聴くとあいかわらずテンションが上がる。


其の四拾八〜四月二日〜

  

春の嵐が吹いている。
咲いた花がゆれている。
ゴォと風がつきぬけて行った。
ウオォォと空が鳴いている。
月が喝と光り 雲がズズゥと流れている。
風の中、俺は酒を片手に花を見ている。
ようやく花を開かせたばかりの幹がその腕を、
頭を、狂ったように動かせている。
夜の桜の連獅子だ。
冬の風と春の風との争いが嵐となり白い獅子と赤い獅子がひとつになって今、俺の目の前でその立て髪を大きくふり回している。
獅子は牡丹の精だというが、今夜は桜に乗りかえているらしい。
おどれ おどれ 狂え 狂え
春、到来。それを告げる春自身のお祭りだ。
今夜の花見は最高だ。
                 


其の四拾九〜七月七日〜

  

この稿、随分長く休んでしまった。 楽しみに待っていてくれる人もいるというのに申し訳ない。又、再開することにしよう。

大の男が街中でたったひとり声を荒げるという事はある。
「ヤロー、ブッ殺す」とか「ザケンな、本当、ザケンナ」とか「クソッタレ」とか「ウギャー」とか「Whoor」とか「Year」とか。
先日は恥ずかしながら俺のたったひとりで発したおたけびはこうだ。

「うっわあああああ」

阿佐ヶ谷の南に青梅街道という大きな道路があり、その両ワキにはイチョウが植えてあるのだが、その植え込みに俺は人のズガイコツを発見したのだった、と思ったのだった。
イチョウの木の下にうっすら上アゴが見えている。最近の殺人では死体のかくし方もそうとう雑になっている。この木の下に人の死体が埋まっているのだ、と前言の「うわあああああ」となった訳である。そりゃそうでしょ。大事件である。思わず周りを見回した。何故ここに死体がのぞいているのに人々は普通にここを通り過ぎていくのか。誰も気が付いていないのか、気が付いていないフリをしているのか。交番が近くにある、この事はもう知っているのだろうか。
勇気をふりしぼって近よって見た。人のズガイコツではなかった。ものすごくよくできた入れ歯だった。それが少ぉし土をかぶってリアル感をかもしだしているのだった。 何故ここに入れ歯がこんな具合に置き去られているのだろう。これはこれで相当ビックリだ。人のズガイコツなら文句なく大事件だが、人の入れ歯でも充分小事件だと思う。
太古の漫画ではよくおじいちゃんが「ドヒャー」とかおどろいて総入れ歯を宙に飛ばしていたが、現代の現実にもそういう事は起こるものなのだろうか。だがそうだとしても何故、拾って帰らない。入れ歯というのは相当に高価なモノだと聞く。酔っていたのか、ブチ切れたのか、もうどーでもよくなったのか。何故、誰もすぐそばの交番に届けないのか。俺はそれを交番へもって行っただろうか。いいえ、やっぱさわるのきもち悪いもんね。


其の五拾〜七月弐拾九日〜

  

熱い熱い夏がやって来た。
6月、梅雨入りしたそうだけどぜんぜん梅雨らしくないなぁ、暑くて夕立もあり、まるで夏みたいだった。
何日も雨が降り、うすら寒かったりしたのが俺のよく知っている梅雨だ、もう一度コートを引っ張り出してきたり、夜には暖房をつけることはさすがになくても鍋モノをつっついてみたり、 でもこの梅雨時期はすでに半ズボンをはきアイス・キャンディーをほうばっていた。ああ、もう夏みたいだなぁと。
ところが7月に入ったとたんにバッキャロ 夏ってェのはンなもンじゃねェ。笑わせんなよォ これがThe Summerだっ。てぇなギンギンな猛暑の毎日である。カゲロウにゆれる街をゆく人だれもがハンカチ片手に「アツイ、アツイ、アツイ、アツイ、アツイ、、、」と呪文のようにつぶやいている。ただでさえ、ぼおっとしている俺はこの熱湯の中、大汗をかきながらいつもより多めにぼおっとして立ちつくすのみである。 そして夏は始まったばかり。
やっぱり夏は楽しくて嬉しい。 海にでかけたり、祭りや花火はもちろんだけど、アロハシャツだけになれたり、打ち水をしてみたり、夜明け前の、ちょっと涼しく感じるブルーの街をぶらぶら散歩してみたり、ギラギラの午後をやり過ごし、昼寝をしたり、カレーライス喰ったり、スイカ食べたり(他界した母は死ぬ前にスイカが食べたいと言い出し、買っていくと、ああうれしいと宝石を手にしたかのようにして食べていたのを思い出す)よく冷えたグラスによく冷えたマルティニを注いでもらったり、同じカウンターに座った女と恋に落ちてみたりと、すてきなことは山ほどある。 立ちすくんでいた俺もチャリンコに乗って走り出す。それだけで俺はもう夏と共にある。

暑いからと言う訳ではないのだが、長いシッポの付いていた髪を切った。十年ぶりくらいになるのか。ここ1、2年くらいは自分の長髪姿にあきあきうんざりしていて鏡に自分が映るのもイヤになっていたのだが、その便利さ(1、寝グセの心配がない。2、髪を切りに行くのが3ヶ月に一度くらいですむ。3、目立つ)から、だらだらと続けていたのだが切ることにした。ハサミを入れた美容師さんの目指したイメージは阿佐ヶ谷のジョニー・サンダースなのだそうだ。何ンだシャブ中じゃねェかよ。なぜだか俺はそんな風に見える事があるようで、ずい分前にまったく見ず知らずの男にいきなり「お前、ヤク中だろ。俺は色ンな人間見て来てるからすぐピンとくるンだぜ」と自信満々に声をかけられ、あまりのトートツさにそれこそシャブ中のようにポカンとしてしまったもんだ。俺は酒はたしなんでもクスリをたしなんだ事はない。 ともあれ、いい年ぶっこいたパンク少年は夏の夜の街をどこかでチャリンコに乗ったまま転ぶのであった。 レッツゴーブギウギ。


其の五拾壱〜十一月二十三日〜

  

先入観というか、人がいだくイメージというモノは非常にカタクナでしかも、だからこそかも知れないが、ある種の普遍性と一般性をもっているらしい。おそろしい。
例えばこの俺が、出会ったばかりの人に、何年来も付き合いのある友人達に、男女年令関係なく何度も同じ質問をつきつけられているのは何故だ。
「チャンとごはん食べてるの?」
これは経済的に日々の生活をやって行けているのか、という比喩を使ってでの質問ではなく話の前後から言って毎日チャンと食事をしているか、というそのまんまの質問であるのは明らかであった。
俺も、もういい大人である。メシ食わないでどうやって生きて来たというのか。
ある友人は言う。
「西井がカツ丼食ってるところを見てみたい。」
ある友人はまさかそんな事はあるまいという顔をしてこう言う。
「西井が背油ギトギトのラーメンすすってるところ見てみたい。」
食べてる。別にそんなモンくらいなら普通に食べてる。
「ゴハンたくさんおかわりしなきゃだめだよ」
心遣いはありがたいが、俺は育ち盛りだった時期をとうに過ぎている。
「そう言えば西井がなンか食ってるとこ見たことねェなァ」
ホラ、それだそれっ。適当なこと言いやがってただナァントナクみんなが造り上げつつあるイメージに引きずられているだけの発言だろ。 この前はほとんど初対面の人に 「食事もとらないで酒ばっかり飲ンでンでショ」 と言われた。お前が俺の私生活、なかんずく食生活のナニを知っていると言うのか。
しかし、古い友人の中にさえ「その通りじゃん」と言うであろうヤツがすぐに何人も思い浮かぶ。
サァ“酒”である。俺が酒呑みである事は否定しない。酒にだらしない事も否定しない。しかし、文字通り酒しか飲まないで生きて行けている訳ではない。ざんねんな事に。 前回スタジオにスポーツドリンクを持って行ったらエイジがおどろいていた。
「西井が酒以外の液体を口にしているのは不自然である」
というのだが、Soul KやらいろんなLIVEの現場やら等で俺がペットボトルのお茶やらコーヒーやらそれこそミネラルウォーターなんぞを飲んでいるのをずい分と目撃しているハズなのにそれが完全にヌケ落ちてこの発言である。
休みの日の午前中に友人から電話がかかって来る。俺は俺のでっかいマグカップでコーヒーを飲んでいたところだったのでそれを飲みながら話をしていると、 「あ、もう呑ンでんのォ」「はァ」「こんな時間からもう酒呑ンでんでショ。聞こえるよ」
「あのね。これね。コーヒーなんだよ」
「えっー。西井コーヒーなんて飲むことがあンの。」
「うん。今、まさに飲んでいるのがコーヒーだよ、インスタントだけどな」
「またァ、ウソでしょ。西井が酒以外の何ンかを飲ンでンのなんて見た事ないモン。」
そんなハズないのだが、ヤツは断言である。おれは血管の中にアルコールだけを流している訳ではない。
ここ最近世話になっている美容師が、髪を切り終わってからこう言った。
「西井さんのイメージで酔いどれロッカーって感じにしてみましたァ。いかがでしょう」
いかがもどうも、もう切り終わってンじゃねェかよ。酔っぱらいのヘアスタイルってのはどーゆーヤツよ。あ、こーゆーヤツなの、へえ。


其の五拾弐〜十二月二十八日〜

  

さて、今年ももうすぐ暮れていく。世界中の誰もが途方に暮れた今年だが、俺は何だかんだでもはや錯乱していた。来年こそは錯乱しすぎて途方に暮れる事になるだろう。 今年の夏は暑かった。俺は2度溶け、3度溶けかけた。脳ミソの一部は未だ溶けたままかもしれない。 秋はあったのだろうか。いきなり冬のドン底がやって来たような気がする。夏に溶けた脳ミソが今、鼻水となって流れ出して止まらない。俺のハートとサイフの中身はブ厚い氷の奥で凍てついてしまった。 でも嬉しい事もたくさんあった。思い出すと凍ったサイフから小銭くらいはとりだせるのだ。 また来年。

           

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