西井の詔 2003〜2008 其の壱
ハッ!ハッ!チェック!チェック!ワン・ツー、ワン・ツ・・・えっ!マイクテストなんていらない?・・・分かりました。 其の弐 前略正月ですね。昨年、本当いろいろあったね、おたがいに。ところが俺、年の瀬だの新年だのってニガ手なんだよな。この歳にいたるあらゆる場面でなんのケジメもつけずノンベンダラリと生きて来た俺にとって年を新たにするなんぞ面映いよ。 1年をくぎるのは人間だけど人間のやる事なんぞ1年じゃくぎれねェよ。川に神田川だの隅田川だの名前を付けるのは人間だけど、そんな事おかまいなしに川は流れ、集まり、又流れる。アナタは今年もきっとアナタだろう。俺も今年やっぱり歌ってるよ。他にやれる事なんて、ありゃしないんだから。・・・で、次は、 1/18(日)高円寺ShowBoat 03-3337-5745 其の参 あっ、管理人さんっ。あけましておめれとうごらります。・・・え?ロレツが回ってない顔が赤い。お神酒のやり過ぎだろって?いえいえとんでもない。そんな事ありまへんろ。私、呑ン平やりはじめてウン世紀。ぜんぜんっしっかりすてまひふれる。たいひょうぷ、はれみゃうむ。・・・みれまくれし。 えェェみな様あけましておめでとうございます。昨年の中頃からはじめましたこの「Hip-de-Dip」今年はいっちょ活動を広め存在の大きなモノにして行こうと思っていますなにとぞよろしく申し上げまするゥ・・・・・・オェェェェ てな訳で初詣へ行きました。エエッ行きましたともあの明治神宮へ。なんと言っても参拝者が日本一多いお宮さんだい。アレッ!?それじゃあんまり御利益なさそな気もするな。いやあ、セコな考えだよそりゃあ、大事なのは心意気だぜ。原宿駅をおりると、おおっやはり人が多いな。多いなんてもンじゃないのはこの後思い知る。どこへ向かえばいいのかなんてまるで分からないけどどいつもこいつも俺もどうしたって参拝者だ人の流れ乗っちまやいいだろ。境内へ入り広い参道を進む。都市から一気に森の中へ入ってったような気になる。こんな大きな神社でなくても、例えば近所のお稲荷さんでも、静かな時にいたりするといきなり古代と直接むすばれているような心持ちになる。俺はまったく信心のない男だがそれでも日本の原始宗教のきれっぱしをフッと感じる瞬間がある。あんな場面や、こんな場面で。まァその事はおいおいおいっていきなり電光掲示板が目に入る。およそ神社にゃこれは不似合いだろうよォとけげんな思いはすぐにふき飛ぶ。「待ち時間約120分」とその黄色く光ってるヤツは示していたのだ。エエッ!?どうゆう事!?待ち時間て何ンの事!?誰を?何を?待たなきゃいけないの!?エッ!? どうゆう事も何もT.V.でおなじみのあの巨大な賽銭箱の前にたどりつくまでに120分くらいかかりますよ、なに分こんでますからね。と言うそのまんまのお知らせだったと思い知らされたのは賽銭箱の前によおうやくたどりついた120分後の事だった。 其の四 あっ、管理人さん。先日はどうもおるかれまれました。 ・・・え?ロレツが回ってない、顔が真っ赤だ、うちあげで飲み過ぎたんだろうって?はい。そのとーりれす。私、うちあげまくりすぎまいた。飲み過ぎまいた。ごめんならい。 高円寺ショウボートにて1月18日(日)“Hip-de-Dip”第2回目のLIVE。来てくれたみんなどうもありがとね。本当楽しかった。お客の中にヤザキ君とヤハタ君がいてこの二人はそれぞれPicoダンス、オーキィドーキィズと俺のやっていたバンドでギターを弾いてくれてた仲で、俺とタメ歳 19歳からのつきあいだ。オグラこと小倉君も来てくれて1年前まで向井君、テッちゃんと“800ランプ”をやっていて今はソロ活動をしている、俺とタメ歳でやっぱり19歳の時からのつきあいだ。持つべきは友達だなと本当にそう思う。んなもんで高円寺でうちあげをお開きにした後、帰り道がオグラ君といっしょ。ついもう1件より道してしまい、このテイタラク。 次回のLIVEまだきめてないのですがきまりしだいHPにのせるから、アナタも今度うち上げまくろうね。 其の伍 あ"あ"あ"管理人さん、ごんにぢは。ゲホゲホ。え"え"、カゼひいちまいまひた。ズビビビ、またもや。ゲェホッホ。俺、カゼひいてばっかだなァ。 30年以上前、最初にカゼひいてから、ずーっとひいたままでいるって感じ。この前もひっさびさに会った友達に「俺、今カゼひいてんだよォ」って言ったらそいつに「知ってるよ」って言われてんの俺。お前が知らねェ間にカゼひいてなおって、又ひいて、こう・・・いろいろあンだよ!なおってる事、あンだよ! と、・・・思うんだけど。 ああ、健康な身体って、どーゆーの? 先日荻窪は「ボクシング・リーズ・カフェ」ってトコで15分だけのLIVEをやった。それはいろんな人が(千葉から来たって人もいた)各々の楽器をもちより、それぞれの歌を歌うっていうスタイルの場だったのだけど。 俺とテツ2人。生ギターとカコーンっていう小さなパーカッション2つ。「ずぶったれ」「キンピカ」「バサラ」3曲やった。くじ引きで出の順番をきめるそうで俺達は俺がくじを引いてなんとイッパツ目。こっちゃ訳もわかんないでここにいるってのに。周りの人達はそれぞれ顔を知ってたりするみたいでワキあいあい。やぁ、ひさしぶり今日も来たねって感じ。まァしょうがねェ、おっぱじめるかとギターをひっかき回す。「ずぶったれ」のイントロ、ギターリフ弾きはじめから、店全体の空気がいてつくのが小さなステージにいて分かる。まァいつもの事とおかしくなってかまわずどんどんやった。こちらから見て客席の人が口をあんぐり開けてんのはいつ見てもゆかいな事。 テツとまたやろーかと話した。まァ、3月、4月のLIVEの店もきまったし、バンバンやるよ。あ、路上でも又やろーかな。 (了) 其の六 前略 前回の品川カミカゼハウスでワンマンやった後の帰り道さ、新宿駅のホームでばったり彼に会ったよ。 ドミナァティって名のモロッコ人のパーカッショニスト。俺と向井が以前、路上ライブをやっているといきなり飛び入りして来てモロッコ伝統のタイコを打ち鳴らしてジャムった、俺達のことをグッドシンガー、グッドプレイヤーってほめてくれた彼。 思わずホームでだき合った。ステージと酒でつかれてたんだけどさそわれるがまま酒場へ。 彼はタイコをだいてモロッコからスペインへ、演奏で稼ぎながらヨーロッパ、アメリカを流々として、日本へやって来たそうだ。俺は彼に酔った頭とデタラメな英語で何度もこう言った。 「全ての人間とリズムを産んだのはアフリカだ。あなたも日本人もずいぶん遠くへやって来たが、それでも彼の子供だ、あなたも俺も」 彼は俺に昔つくった歌をひとつくれると言う。 何ンだか俺にピッタリの曲なんだそうだが、いくらなんでもそんな事ってあるんだろうか。彼の生まれはアフリカ大陸のはじっこ、俺の生まれはユーラシア大陸のはじっこから落っこちた島国である。いや楽しみだなあ。 5/30(日) 新高円寺 UFOクラブ 其の七 前略 映画を観るのが大好きで、昔からいろんな映画館へ出かけた。いろんな時代のいろんな国の映画を観る事ができて、それだけで東京に住むシアワセを感じたもんだ。 先日も、すごく楽しみにしていた、ルキノ・ヴィスコンティ監督「山猫」ノーカット完全復刻版を観に行った。ブルジョアジーの台頭によるイタリアの革命。支配階級だった公爵も屋敷を捨て、田舎の別邸へ逃げるように移り住む。そのうち彼は歴史の舞台から降り、全ての人々から忘れ去られるのを望むようになる。 今、ふと徳川家最後の将軍を思い出したが、もーあらすじ書いても映画がすりぬけてくばっかりでしょうがないな。かと言ってあのシーン、このシーンって書いててもしょうがない。 3時間を超える大作だけど、どこをとってもまさに映画。どこを切っても本当にゼイタク。ヴィスコンティ自身、ハプスブルグ家の末裔なのは有名だ。 この人の映画を観てこまっちゃうのが他がチャチに観えてしまう事なんだよな。フェリー二がキッチュに観え、デ・シーカは貧乏人で、ルイ・マルは子供に観えてしまう(この監督たちも大好き!)。 まァ今回はあの「山猫」だからねェ。ゼイタクという意味じゃこれ以上はナイんだから。安心、安心。 残念ながら新宿高島屋の上での上映は終わってしまったようだけど、3/26(土)から下高井戸シネマで上映するそうなので、みんな観ましょー!見るべし。 次回のLiveは 2005 2/12(土) 品川カミカゼハウス 古くからの盟友オグラくんと一緒にやります。乞うご期待! 其の八 ごぶさた。なかなか言葉が出てこなくて、ひとり困ってたんだ。 Hip-de-Dipはリズム隊を欠くしてしまった。頭では分っていても、どこかで認めたくなかったのかもしれない。新しいメンバーさがしの大変さを考えると呆然としてしまって、開いたままの口を動かせるようになるまでチョイと時間をつかっちまった。 当面、向井、西井の2人でLIVEをやったり、ゲストを加えてみたり、いろんなパターンで活動しながら、メンバーをさがして行くわ。 まァピンチはチャンスでもあるって言うぜ、よりよいHip-de-Dipにするよ。 歌舞伎座に中村勘三郎襲名興行を見て来たよ。 子供の頃から浮世絵、中でも役者絵が大好きで、TVで中継があったりするとチョイチョイ見てたりしたんだけど、実際に見に行くなんて事考えてもみなかった。高っいからねー、席代が。 ところが、いわゆる幕見席ってのがあって、1幕1000円前後で見る事ができるって教えてもらってから、何度か見に行ってる。3階の奥の席なんだけど、ナニ、東京ドーム R.ストーンズの時を思うとちゃんと目の前に役者がいる。 この前に行った時は、もーあこがれの「助六」を見る事ができた。ともかくトコトンいなせで鉄火で様子がいい。海老蔵も玉三郎も本当きれいでまさにカブキ十八番!だけど、なにしろ話は単純、スジ書きもなにもきれいなんだからいいじゃない・・・てなもンだったけど、今回のはもう少し話が複雑。せりふが分かんなくて中身が理解できなかったりしたらどうしようと少し心配だったけど大丈夫。見てりゃあ分かるようになってんだからすごいよな。今度は近松の心中物やら見てみたい。 ところで俺の歌で「バサラ」ってのがあるんだけど、バサラ者とカブキ者は時代が違うけど意味はほぼ同じ。俺のヘアスタイル、実はそれをイメージしておりまする。 其の九 4月○日 ひさしぶりにJR阿佐ヶ谷駅ふん水前で路上LIVEをやる。19歳のギタリスト、佐合君といっしょだ。 彼に前から「俺も路上やってみたいっすョ。いっしょにやって下さいよォ」とさそわれて「いいよォ、いつでも。ただし俺は俺の歌をやる事しかできないから、それでよければ」って、とにかく集合。打ち合わせナシ。 佐合君はよくついてきてくれました。「オモシロカッター。またやりましょう。今度はミニアンプをもって来ます」 思いの他、音は風で流されてしまうのだ。 4月×日 ひさしぶりでひとりだけのLIVEをやる。荻窪Boxing Lee's Cafeにて。3曲だけのささやかな演奏だったけどおもしろかった。 俺がつくった歌を俺の弾くギターで、俺が歌う。100%俺。それをまるっきり見知らぬ人に見てもらう。いつもとはチィィと違う緊張感がキモチいい。又、機会があったらやろう。 でもね、本当にキモチよくって楽しいのは、そのLIVEの現場、演奏を、誰かと、みんなと、大きくふくらませて、しかも分け合うことだ。 5/15(日)日野 Soul Kではやっぱり向井君といっしょに、5/28(土)品川カミカゼハウスでは向井君、向井君がぜひ一度いっしょにやってみたいと、かねてから言っていたBマン上條君と3人で、6/28(火)下北沢Dasy Barには俺の昔の共演者Dr三浦をかつぎ出し4ピースでやります。 Soul Kでは俺が昔やってた“オーキィドーキィズ”でいっしょにやってたGヤハタのデュオ“大陸”と、カミカゼハウスでは最近なにかとバッタリいっしょになる“YUMISEX”と、Dasy Barではずっといっしょにやりたいなァと思ってた“ペリカン・オーバー・ドライブ”といっしょ。うれしい事です。 それにしても友達たくさんふえたよなァ。若い頃の俺からみるとびっくりするんじゃなかろうか。 昔の俺はどこか人をさけているような所があって、世間のせまさだけが自慢の男の子でした。 でもやっぱりそれじゃいかんよね。 若かりし頃の俺に俺は時々言う。あーあ、あいかわらず俺はそのまんまだよ。でも少ぅし成長したかもね。 だけどまだまだこれからだ。がんばろうぜ。 其の拾
前略 『大陸』のヤハタ君は最近部屋を引っ越したと言っていた。ずい分長い間その部屋に住んでいたハズである。 「取り壊しが決まったんで仕方なくそうしたんだよ。」とヤハタ君は言っていた。実は俺も今月、引っ越すのである。 ヤハタ君と違って俺はなんだか、しょっちゅう引越しをしている。別に引越し道楽があったり、ひと所にとどまってるのがイヤだったりする訳ではないのだけど。 年中サイフをピーピー言わせてる俺なのにどうゆう事かそン時そン時の成り行きでそうなってしまっているのはひとえに俺の計画性の欠落と優柔不断のなせるワザだ。 今度、住むアパートは古くて、ちっちゃくて、奥ゆかしく、可愛い部屋だ。なのに名前は「金箔荘」。一遍できめた。 とかなんとか言ってたら今度一緒にやる『ヤング・マインド・ソウル』のリーダー、マンジロウも今度、引越しをするんだそうだ。 それも阿佐ヶ谷2丁目へだ。俺の「金箔荘」と同じ町内だ。 そういや『ペリカン・オーバー・ドライブ』のDrタケちゃんとその彼女もこのあたりに住んでたハズで、ときどき駅前でSt,LIVEを一緒にやってる19歳のギタリスト佐合君もこのあたりだ。 Oh!なんというロッケン・ロールご町内。 今度のLIVE、俺とマンジロウの引越し祝い、という事で、ぜひ!ご来場おまちしております。 P.S. 俺は独身者専用の「金箔荘」だが、マンジロウは なんと一軒家を買ったのだそうだ。 すげぇ、えらい、えらすぎるぞ、マンジロウ! 其の壱拾壱
いやもうバタバタだった。 私の人生15歳からこっち、ずっとバタバタしどおしなのだが、この2、3ヶ月はホントにバタバタだった。 何があったって まず父の一周忌である。 坊主を呼んで、親戚を呼んで等のことは結局やらなかったのだけど、どうも私、1年たってようやく父の死を実感でき始めたようで日常生活のとんでもない時なんでもない時に、死んでいく、命がだんだん薄くなっていく父の顔がフラッシュバックのように思い出されて急に涙が出たりするのだった。 ただ今現在はもう落ち着いたと思う。 そして、引越し。 いまだ開けてない段ボールが押入れに突っ込んである。 父が会社を倒産させた15歳の時からその時その時の理由で何度も引越しをした。 いつも何かに追い込まれるように。 しかもおまけに今回同時に10年近くやってたバイトもいっしょにやめちゃったんである。 いろいろあったのだが ともかくケツまくっちまったんである。 で、プーである。おうプーだよプー。 ゴーゴー!バカボンのパパへの道。 で、もうひとつ。今、私の手の中にそうそう信じられないものがある。 それは『おめでとうボビー、ロッテ 日本一』サンケイスポーツ特別版という雑誌である。 そう今年の日本シリーズで千葉ロッテ・マリーンズは優勝し、日本一になったのである。 にわかに信じられるか。こんな事が。 31年間 日本一はおろか万年Bクラスに沈んでいたチームである。 ちなみに私は岡山県生まれで千葉とはまったく関係が無い。 私が子供の頃はロッテはフランチャイズなしの放浪のチーム、ロッテオリオンズといった。 この前の優勝は小学3年生だった。その頃から実は応援してたのである。ずっうっと応援してたのである。 ロッテは31年間ドン底だった。77年からフランチャイズになった川崎球場にはカンコ鳥が鳴き、外野席ではあろう事かクソ大学生にマージャンをやられてたり、バカアベックにペッティングまでやられてたりしたのである(流しソーメンをやってるヤツがいるという話には笑えた)。 プレーオフ、日本シリーズとほとんどT.V.で見る事が出来た。(昔は名前は知ってても動いてる所を見た事がない選手ばかりだった)ロッテ・マリーンズは強いチームになっていた。 すばらしい応援団だった。 優勝の瞬間、私はバカな事に「う。」と言っただけで固まってしまった。 マヌケな私は、もの事が身にしみていくのがずいぶん遅いのだ。 父が死んだ昨年、中日ドラゴンズが優勝した。父が戦後からずっと応援し続けていたチームだ。 今年いろんなことがフシ目になった私はロッテ・マリーンズの優勝を見る事ができた。 だからなんだと言う訳ではないのだが、しあわせな、あるいは、おしあわせな、父子だ と思うのである。 其の壱拾弐
仲間を見つけるのは大変だ。 それがドラマーとなるとよけい、むずかしい。 2人でやるアコースティックでのLIVEももちろんそれはそれで楽しいのだけど、俺も向井君もバンドでやりてェなァと願いながらもどこから手をつけていいものやらさっぱり分からないでいた。 メンバー探しは進まなかった。 決して、口を開けて天から贈り物が降ってくるのを待っていた訳ではないのだが。 それがここに来て、俺からするとなんだか拍子抜けするくらいあっさりと、コンノエイジはHip-de-Dipの新メンバーとなった。 ひょっとして天から届いたのかも知れない。 今年8月に亡くなったライブ・バーSoul K のマスターの息子なのだエイジは。 Soul K には何度か出させてもらい、マスター率いるバンドとも共演した。そのバンドでドラムをやっていたのがエイジである。 もちろんその時はいっしょのバンドでやるなんて事は思いもよらず、若いのにしっかりしたドラムをやるヤツだなと思っただけだった。俺たちはマスターにずいぶん気に入ってもらい、俺は手書きの名刺をもらった。 それから2、3ヵ月後である、マスターが心臓だかなんだかで急に亡くなったと聞いたのは。 まだ若かったし、豪快で偉丈夫といった感じの人だったので本当にびっくりしたしショックだった。そのとき初めてあの若いドラマーはマスターの息子なのだと知ったのだった。 エイジと連絡を取ったのは今月の初めである。 俺のことを憶えていたようで、バンドの話をしたがったが俺はまずお父さんのお悔やみを言った。 それでもエイジはバンドの話をするので、俺はワキの下に冷や汗を感じながら「Hipでドラマーを募集しているんだけどお前どう?」 と聞くとエイジは「俺でよければぜひ」 と即答だ。 あれェと、とまどう俺。ドラマーなんてのはあっちこっちで引く手あまたなんだ。 特にエイジのように若くてセンスのあるドラマーは。 なにはともあれみんなでスタジオへ入った。上條君にまたもやムリを言ってベースを弾いてもらった。びっしり2時間俺たち4人は幸せな演奏をした。なんてこった。 再びエイジに聞く。「Hip-de-Dipに参加するかい」 エイジは笑いながら「ハイ、ぜひ」 ともう一度言った。 よし決まり。エイジはHip-de-Dipのドラマーである。 1月18日(水) 大久保水族館は B上條君に手伝ってもらい、Hip-de-Dip西井,向井,コンノエイジの4ピースバンドでLIVEをGO マスターも見に来てくれよ。 其の壱拾参
寒む。おおぅ寒む。 今年の冬は長げェなァ。 異常気象のせいだっていうけど10年も続きゃ異常じゃなくなるよ。T.V.ニュース見てたらモスクワは−30℃だって。想像つかんワ。 おもしろかったのは 動物園の職員がこいつも寒くて大変だろうってアフリカゾウにウォッカを飲ませてんの。 樽かなんかにウォッカまとめてぶちまけて、それをゾウが鼻ですくって飲んでるVTR・・・笑う! さすがロシア人。やる事が普通じゃないだけじゃなく生活の分母がいつもウォッカ。 とえりあえずウォッカ。まずウォッカ。最後にはウォッカ。 すばらしい。 俺の好きなロシアの笑い話、 「この世に醜女なんていない。ウォッカがたりないだけだ。」 冬来たりなば春遠からず、だ。がんばろう。 其の壱拾四
とうとう東京でも桜が満開になったね。 なったとたんに冬に逆もどりしたみたいだけど。3月27日 朝早く桜を見に善福寺川緑地公園に向かってチャリンコを飛ばす。 俺の住む“金箔荘”から10分ていどで行くことのできる桜の名所だ。 上野とか千鳥ヶ淵ににくらべると・・・いささかじみめだけど。 ヒョコヒョコとチャリを走らせ公園にいたる前の坂の上に立つと並ぶ屋根の上にもう桜が沸いているのが見える。公園はまだ早いからか、人もまばらだった。 春のかすみがここへぜんぶ降りてきているようだ。蛇行する川に向かって、ベンチの向こうで、スベリ台とジャングルジムのあちら側で、もう泡をふいたように桜が花ひらいている。 うひゃああ、いったいどこだ。ここは。うそ!? 聞こえているのはウグイスの声だ。東京都杉並区丸の内線のすぐ向こう、だよな ここ。 まァ、いいや そんなこと。本当、どうでもいいや、あれこれなんて。 川ぞいの桜のトンネルをくぐる。ずうっと くるくる進んで行く。 桜だ。桜だ。桜と川だ。桜だ。花だ。桜と空だ。 俺は花にだかれている。俺はもうすでに死んでいる。 シャバの事なんて知らないよ。俺はそこにはいないんだから。 もう何もかもが一切の彼方だ。 どのくらいの間 そこにいただろう。時計はもって行かなかった。俺はシャバへ帰って来た。 落ちていた桜の小枝をひろって来た。俺のウィスキー用のグラスに挿しておいた。 今、そこで咲いてる。 其の壱拾五
今回初めてLIVEに加わってもらう浅野君を交えたリハーサルはとても快調に進んでいて、それをイイ事にしばらくやる機会のなかったレパートリーも少しずつ練習している。 「エレンディラ」という歌が俺のモチネタであるのだが、バンドではここンとこ、ごぶさたさせてた。 ずいぶん昔につくったヤツで、Picoダンス,オーキィ・ドーキィズ,そのつどのバンドでもやってた、自分でも割りとお気に入りだったんだろう。でも、「どうも、何ンか、違うナ」と小さなトゲがいつも頭にひっかかっていた。 俺の中で鳴っていたのはサンバ,あるいはクレオール調という風な(中々、言葉にはしにくいわナ)もンだったのだが、思いの外、叙情的すぎたり、ロック調すぎたりして(中々、言葉にはしにくいわナ)アコースティック・ギターのみのシンプルな演奏が一番しっくりくるのかなアと感じがしてたのだけど、今のHip-de-Dipでこれをやるときっと面白い、と何やら急に思い立ち、エイジにパーカッションやってもらてみたり、みんなでいろんなリズムの刻み方を試してみたりと手探りをしながらリハを始めたんだけど、本当とてもイイ感じで、全体が現れて来ている。楽しみにしててよ。 このきれいな「エレンディラ」という題名はもちろんガルシア・マルケスの中編小説「無垢なエレンディラと無情な祖母の信じがたい悲惨の物語」からのものだ。若い頃、この美しくて、残酷な物語にきっと誰もがそうしてしまうように、俺も我が身を重ねて読んだもンだった。 裏シンデレラ・ストーリーというか、精製していない物語のネガがポイとそのまま投げてあるといった風な小説で、俺はとても感銘したンだよ。で、まァ、いつの間にか歌にしてしまっていたと言うしだい。 読んでない人もお勧めだよ。とても面白いから。 俺は観てないんだけど、これを原作に映画もあるそうだ。観てみたいなァと思いながら未だお目に掛かってないけど。蜷川幸雄も今年だか、舞台にするそうだ。 あっ、でもまずHip-de-Dipを見に来てね。 其の壱拾六
ここ最近 何年かの間に何度か歌舞伎座に足を運んでいる。地方出の俺だから、昔は歌舞伎に接するにはT.V.中継か写真しかなかった。 HipのLIVEはモチロン別として、今一番俺のテンションが上がる場所だ。先月は玉三郎の「天守物語」、先々月は仁左衛門の「荒川の佐吉」を見に行った。 この二つの演目、実は江戸時代に成立したものではなく、それぞれ明治、大正時代にひとりの作家が脚本を書いたもので、歌舞伎としては例外的であり、特に「天守物語」は はっきり歌舞伎とは異なる“演劇”だった。 浮世絵をご覧になった事があるだろうか。やはり江戸時代に成立したものだが、何ンだかいろいろびっしり描いてあるなあ と思ったりはしなかっただろうか。何ンだかうるさくて目がチカチカするよ、とか。その絵は実は広げて壁にかけるものではない(もちろん例外はあって北斎の「富嶽三十六景」等は富士山の絵であり信仰の対象であるから、どこかに“かける”事はあったかもしれない)。 ダ・ヴィンチでも、ゴッホでも、ピカソでも、ヨーロッパ絵画の場合は、壁にかけるものである。1,2歩さがって その画面全体が見て取れるようにして眺めるものなのだが(だから画面構成というのは大変、重要だ)、浮世絵というのはチョット違って、手に取り、見やすいよう折り曲げながら、少しずつ、読むものなのである。だから、あっちにもこっちにも広げると うるさいくらいびっしりと描いてある。どこをどう見てもあきさせませんぜ という訳だ。あるいは、今こんな帯が最新流行になってんだよ、とか。重要なのは全体の構図よりも細部の美しさなのである。 現在の歌舞伎では、いや、すでに江戸の中頃からひとつの芝居を最初から最後までストーリーを追って順に見せていくと言うことは殆どやらない、らしい。例えば、歌舞伎で「スター・ウォーズ」をやろうという事になると、今回は「ルーク・スカイウォーカー、フォースを学ぶの段」と称して、そのシークェンスだけをひとつの演目として、長々とやり、この後日談は、はい、またいつか。今日はこれまで。と、いう事になる。そのいつかはいつになるのかは誰も気にしない。全体のストーリーは二の次にされていると感じるでしょ。 ドラマ=対立 が引き起こす事件の顛末を舞台で再現する、という事が根本にあるヨーロッパ演劇とはモノが違ってると感じるでしょ。カブキは元来、素朴だが奇抜なストリート・パフォーマンスとして始まったと知られている。 歌舞伎は“傾き”から来ているそうだ。カブキは客をとるため、大きく成長するため、徳川幕府、明治政府、GHQからの弾圧から逃れるため、そしてなにより客をあきさせないため、さまざまな手法を身に付けることになる。 “能”をまねて物語をのせること(だから役者は今でも演目のことを“○○の狂言”と言ったりする)、全員が男で、女も男が“女形”として演じる事。花道をつくる事、どんでん返しをつくる事(筋書きの事ではなく大道具が文字通りひっくり返る事)その当時の事件をそのまま演じるとさしさわりがあるので昔々の事件として“狂言”にする事(その際、「平家物語」から多くを引っ張ってきているのはもちろん“能”の流れからいただいている)。ドハデな衣装、くま取りという異様な化粧。「ミエを切る」と呼ばれる、ヘンテコリンな格好をしたストップ・モーション。その他いろいろ。 明治期のある文豪が歌舞伎のことを、演劇の“ぬえ”か“スフィンクス”のようだとコメントを残している。両方ともさまざまな動物、鳥、爬虫類、想像上の生物が合体した姿をしている。そーゆーもンだというのは分かるが、全体像が掴みづらいという意味もあるそうだ。 「絵になるねェ」とか、「まるで絵のようにきれいだね」という言い回しを、とかく俺たちはよくすると思うが歌舞伎はそのように感じる美意識をそのまま丸ごと舞台に咲かせようとするのである。自らの存亡をかけて。舞台の上に美しいものとして姿を現せる事。それ以外はそれを支えるつっかえ棒でしかない。 様々な時代、物語,人物,手法が交錯する板の上、しかしそれは俺には「混在」というよりも「増殖」という言葉を、思い出させる。もちろん歌舞伎はあらゆる文化、風俗を自ら取り入れてきた。しかし、俺にはそれが 水が有れば水のとどくところへ、光を感じれば光のとどくところへ、枝葉をのばそうとする桜の木のように、きれいならば、絵になるならば、そこへ手をのばし、自己増殖を続けて来たかのような巨木に映る。それがすばらしい花だった時、息をのみ、感動するのである。 歌舞伎には“ツラネ(連ね)”というあまり深い意味合いを持たない長ゼリフを延々と続けるという(“to be or not to be”とは対極の)芸があるが、ここではセリフが音楽として登場している。 其の壱拾七
ジョン・ライドン(ジョニー・ロットン)は俺が歌をつくり歌い始めた大きなきっかけのひとつだ。彼をまねてパンク・ファッションをやってた十代の頃から今も、俺のアイドルだ。 この前エイジと話してて思い出した。「NO FUN」と言うセックス・ピストルズの実際の映像やインタヴューを編集したドキュメント映画だ。ハイライトは、ピストルズが行った最初で最後の米ツアーのLIVEシーンなのだが、はっきり言ってヒドイ。ヘタクソなのはともかくとして、もうまるで覇気がなく、客もバンドもシラけきっている。申し訳なさげに下を向いたまま演奏を続けるバンドと、ポカンとつったったままの客。Vo.のジョニー・ロットンのみ マイクにかじりつかんばかりにさけんで浮いている。曲は、イギー・ポップのカバーで「NO FUN(くだらない)」。ジョニーは何度も叫び続ける、「NO FUN」と。もうこの時には脱退をきめていたんだと思う。そして棒立ちの客達に問いかける。「どうだ?だまされた気分は。」とても短い期間でピストルズはストリートにたむろするパンク・ロッカーから、ロックン・ロール・スウィンドル(ロックン・ロールのさぎ師)に方向をシフトしていたのだった。怒号を続けるジョニーがいたいたしい。 でも、この映画を見た時には俺はもう知っていた。この後ジョニーは本名のジョン・ライドンにもどり、パブリック・イメージ・リミテッド(以下P.I.L.)を率いて「メタル・ボックス」「フラワーズ・オブ・ロマンス」という2枚の傑作をモノにする事を。 憶えてますか?「ゲルマン民族の大移動」又は「ゴート族の侵入」。立場の違いで呼び方が変わるだけで同じ事を言ってる。やって来た方は「移動」だと言い、やって来られた方は「侵入」だと言う。(ゴートは蔑称だとの話も)どこへ?北から南へ、辺境の地からローマ帝国へだ。中世まではヨーロッパというガイ念がまずない。ローマとその他野蛮な地。昔の東アジアが、中国とその他野蛮な地、というのと一緒だ。文字をもたず、狩猟採集と牧畜、原始的な農耕で暮らしていた彼らが、崩壊寸前だったローマ帝国を浸蝕してその文化を吸収する。再び、いくつかの部族に分かれ、それがイギリス、フランス、ドイツ、などの王国をつくり、てんやわんや、いりみだれて、ヨーロッパとなるのである。 古代、そまつな服を着て、のばし放題の髪とヒゲにバターを塗りたくり、小さな部族に分かれたゲルマン民族は生きていく為ローマをめざし、ドナウ河を渡る。掠奪と破壊をくり返しながら。そのことを思い出させるのは決してゲルマン民族的優位を信じていたワーグナーではない。もちろんモーツワルトやバッハな訳なく、それはイギリスのチンピラパンクロッカー、ジョン・ライドンなのである。彼はこのアルバムで、まったくの非ロックを非バッハを非黒人音楽を創った。小さくシンセが聞こえるが、ほぼその空間にはバスドラム、スネアドラム、そしてジョンのVO.があるだけなのである。単調な、押し黙ったかのような、大ダイコと小ダイコによるリズム・リフがくり返され、その上に和音をまったくムシしたかのような旋律を、まるでそれこそバグパイプのような声のVO.がのる。こんな歌を歌うのは彼以外にはまったくムリなように思える。 荒野にひとり そまつな斧をもって旅を続ける人間が見えたのである。 最初にジョンはアイドルだとした。ヒーローとはしないで。俺自身キライな言葉であるからでもあるが、何より彼が嫌悪してるだろうし、似つかわしくないと思ったからである。 其の壱拾八
年末ですね。師走とも言う。いやだなぁ、バタバタとせわしくて。 其の壱拾九
いまだ尾を引く「発掘あるある大辞典」のヤラセの事。T.V.の図々しさ、いい加減さに、あいた口がふさがらないのはモチロンだけど、何より俺がおどろいたのは、あの店頭からの消え方だよなぁ。スーパーの棚のそこン所だけカラッポだったものね。ぎっしり並んだ商品の中に突然できた空白。いったいどんな売れ方をしたんだろうか。見てないから分かンないけど。 其の弐拾
今年の桜の時期は短かったねェ。本当、あっと言う間だった。満開になる前に
もう葉っぱがチラチラ出てたりしてたもんね。桜がきれいに開花するには、冬の
きびしい寒さが必要なんだそうだ。それに春の暖かい風と恵みの雨でワァっと
いっせいに花を開くんだって。この冬は暖かかったし、春の様子もなんだか変
だったもんね。花が散るのはさみしいけど、春はまだ始まったばかりだ。 其の弐拾壱
前略 其の弐拾弐
ずい分とごぶさたしてしまった。この頃、俺の身の回りに起こった事、
日頃俺が考えてる事、思った事、等を書いて行こうと始めたのであるが、
CD作りでバタバタ(モタモタ?)しているのところへ、この夏の初めに
母にガンが見つかってしまった。 其の弐拾参 「CD」
とうとうCD出来ました。もっと早く出せたのかも知れないが、この
時期になったのは、ひとえに俺がトロいせいだ。 其の弐拾四 「暮れ」
青梅街道ぞいのイチョウ並木が山吹色を濃くしながら落葉している。 其の弐拾五
ずっと1冊の画集をながめてる。パブロ・ピカソの代表的な作品を
網羅してある物で全紙サイズのバカでかい、いまいましいほど
重たいシロモンである。箱から取り出して表紙の裏を見ると筆で
「 昭和五十二年十月二十六日 西井匡広 」と書かれている。 其の弐拾六
2月3日、節分の日のSoul KのLIVEの日、の朝。もう東京は真っ白だった。 其の弐拾七
前略 其の弐拾八
5月25日のSoulKでは、最後に川上龍一 with 市川"JAMES@m二、
Hip-de-Dip全員でセッションをやった。 其の弐拾九
少し前の事になる。それでもまァ、4,5ヶ月である。 其の参拾
赤塚不二夫、死んだね。 其の参拾壱
夏は去った。肌で感じますね。夜明けの遅さや夕暮れの早さにも
それを教えられる。 其の参拾弐
17才。初め買ったエレキ・ギターは¥3,000だった。 其の参拾参
前回この項に登場し、バカヅラ並べて俺とツルみギターを買うための¥1,000を
貸してくれたのは、カガくんという俺のクラスメートだ。俺達は悪名高い○山工業
高校の1年生だった。なんで悪名かというと想像がつくと思うが、バカかヤンキー、
あるいはバカでヤンキーしか校内にいなかったからだが、もちろん 今は我が母校
も昔とは違っていると信じたいと思いたいと書きとめておきたい。 |