西井の詔 2003〜2008


其の壱

ハッ!ハッ!チェック!チェック!ワン・ツー、ワン・ツ・・・えっ!マイクテストなんていらない?・・・分かりました。
Voの西井です。ステージの上で話をするなんて事オレはあんまりしないんだけど、その分このスペースで、ちょいとおしゃべりをさせていただこうという趣向で、書き込みをしてくれた人とも色々ヨモヤマ話をして行こうと思ってます。
Hip-de-Dip”うん。いいバンド名だわ。よかった、これにして。バンド名決めたからってメンバーにいきなりこの名前を伝えた時、みんながちょっと嬉しそうな顔をしたのが、オレにもとても嬉しかった。
“Hip-Hop”のグループと思われるんじゃないかという話もちょっとあるにはあったけど、“Hip”って言葉は元々1950年代にビ・バップと呼ばれたニューヨークのモダン・ジャズバンドの流行らせた言葉だ。チャーリー・パーカーやディジィ・ガレスピーetc...『お前、そのジャケットすんげぇヒップじゃん』とか『ヤロウの“煙が目にしみる”の演奏のヒップな解釈の仕方ときたら!』なァんて使ってたらしい。気にする事ないよ、文句出ても知らねェヤツがバカなのさ。
俺達のバンドは、例えばスネアドラムのリムショットからはじまる。そこから歌が生まれる。ギターとベースが華を咲かせる。そこにどんなジャンルもないだろ。俺達は“Hip-de-Dip”

其の弐

前略
正月ですね。昨年、本当いろいろあったね、おたがいに。ところが俺、年の瀬だの新年だのってニガ手なんだよな。この歳にいたるあらゆる場面でなんのケジメもつけずノンベンダラリと生きて来た俺にとって年を新たにするなんぞ面映いよ。
1年をくぎるのは人間だけど人間のやる事なんぞ1年じゃくぎれねェよ。川に神田川だの隅田川だの名前を付けるのは人間だけど、そんな事おかまいなしに川は流れ、集まり、又流れる。アナタは今年もきっとアナタだろう。俺も今年やっぱり歌ってるよ。他にやれる事なんて、ありゃしないんだから。・・・で、次は、

1/18(日)高円寺ShowBoat 03-3337-5745
    

其の参

あっ、管理人さんっ。あけましておめれとうごらります。・・・え?ロレツが回ってない顔が赤い。お神酒のやり過ぎだろって?いえいえとんでもない。そんな事ありまへんろ。私、呑ン平やりはじめてウン世紀。ぜんぜんっしっかりすてまひふれる。たいひょうぷ、はれみゃうむ。・・・みれまくれし。
えェェみな様あけましておめでとうございます。昨年の中頃からはじめましたこの「Hip-de-Dip」今年はいっちょ活動を広め存在の大きなモノにして行こうと思っていますなにとぞよろしく申し上げまするゥ・・・・・・オェェェェ
てな訳で初詣へ行きました。エエッ行きましたともあの明治神宮へ。なんと言っても参拝者が日本一多いお宮さんだい。アレッ!?それじゃあんまり御利益なさそな気もするな。いやあ、セコな考えだよそりゃあ、大事なのは心意気だぜ。原宿駅をおりると、おおっやはり人が多いな。多いなんてもンじゃないのはこの後思い知る。どこへ向かえばいいのかなんてまるで分からないけどどいつもこいつも俺もどうしたって参拝者だ人の流れ乗っちまやいいだろ。境内へ入り広い参道を進む。都市から一気に森の中へ入ってったような気になる。こんな大きな神社でなくても、例えば近所のお稲荷さんでも、静かな時にいたりするといきなり古代と直接むすばれているような心持ちになる。俺はまったく信心のない男だがそれでも日本の原始宗教のきれっぱしをフッと感じる瞬間がある。あんな場面や、こんな場面で。まァその事はおいおいおいっていきなり電光掲示板が目に入る。およそ神社にゃこれは不似合いだろうよォとけげんな思いはすぐにふき飛ぶ。「待ち時間約120分」とその黄色く光ってるヤツは示していたのだ。エエッ!?どうゆう事!?待ち時間て何ンの事!?誰を?何を?待たなきゃいけないの!?エッ!?
どうゆう事も何もT.V.でおなじみのあの巨大な賽銭箱の前にたどりつくまでに120分くらいかかりますよ、なに分こんでますからね。と言うそのまんまのお知らせだったと思い知らされたのは賽銭箱の前によおうやくたどりついた120分後の事だった。

其の四

あっ、管理人さん。先日はどうもおるかれまれました。
・・・え?ロレツが回ってない、顔が真っ赤だ、うちあげで飲み過ぎたんだろうって?はい。そのとーりれす。私、うちあげまくりすぎまいた。飲み過ぎまいた。ごめんならい。
高円寺ショウボートにて1月18日(日)“Hip-de-Dip”第2回目のLIVE。来てくれたみんなどうもありがとね。本当楽しかった。お客の中にヤザキ君とヤハタ君がいてこの二人はそれぞれPicoダンス、オーキィドーキィズと俺のやっていたバンドでギターを弾いてくれてた仲で、俺とタメ歳 19歳からのつきあいだ。オグラこと小倉君も来てくれて1年前まで向井君、テッちゃんと“800ランプ”をやっていて今はソロ活動をしている、俺とタメ歳でやっぱり19歳の時からのつきあいだ。持つべきは友達だなと本当にそう思う。んなもんで高円寺でうちあげをお開きにした後、帰り道がオグラ君といっしょ。ついもう1件より道してしまい、このテイタラク。
次回のLIVEまだきめてないのですがきまりしだいHPにのせるから、アナタも今度うち上げまくろうね。

其の伍

あ"あ"あ"管理人さん、ごんにぢは。ゲホゲホ。え"え"、カゼひいちまいまひた。ズビビビ、またもや。ゲェホッホ。俺、カゼひいてばっかだなァ。
30年以上前、最初にカゼひいてから、ずーっとひいたままでいるって感じ。この前もひっさびさに会った友達に「俺、今カゼひいてんだよォ」って言ったらそいつに「知ってるよ」って言われてんの俺。お前が知らねェ間にカゼひいてなおって、又ひいて、こう・・・いろいろあンだよ!なおってる事、あンだよ! と、・・・思うんだけど。
ああ、健康な身体って、どーゆーの?
先日荻窪は「ボクシング・リーズ・カフェ」ってトコで15分だけのLIVEをやった。それはいろんな人が(千葉から来たって人もいた)各々の楽器をもちより、それぞれの歌を歌うっていうスタイルの場だったのだけど。
俺とテツ2人。生ギターとカコーンっていう小さなパーカッション2つ。「ずぶったれ」「キンピカ」「バサラ」3曲やった。くじ引きで出の順番をきめるそうで俺達は俺がくじを引いてなんとイッパツ目。こっちゃ訳もわかんないでここにいるってのに。周りの人達はそれぞれ顔を知ってたりするみたいでワキあいあい。やぁ、ひさしぶり今日も来たねって感じ。まァしょうがねェ、おっぱじめるかとギターをひっかき回す。「ずぶったれ」のイントロ、ギターリフ弾きはじめから、店全体の空気がいてつくのが小さなステージにいて分かる。まァいつもの事とおかしくなってかまわずどんどんやった。こちらから見て客席の人が口をあんぐり開けてんのはいつ見てもゆかいな事。
テツとまたやろーかと話した。まァ、3月、4月のLIVEの店もきまったし、バンバンやるよ。あ、路上でも又やろーかな。
(了)

其の六

前略
前回の品川カミカゼハウスでワンマンやった後の帰り道さ、新宿駅のホームでばったり彼に会ったよ。
ドミナァティって名のモロッコ人のパーカッショニスト。俺と向井が以前、路上ライブをやっているといきなり飛び入りして来てモロッコ伝統のタイコを打ち鳴らしてジャムった、俺達のことをグッドシンガー、グッドプレイヤーってほめてくれた彼。
思わずホームでだき合った。ステージと酒でつかれてたんだけどさそわれるがまま酒場へ。
彼はタイコをだいてモロッコからスペインへ、演奏で稼ぎながらヨーロッパ、アメリカを流々として、日本へやって来たそうだ。俺は彼に酔った頭とデタラメな英語で何度もこう言った。
「全ての人間とリズムを産んだのはアフリカだ。あなたも日本人もずいぶん遠くへやって来たが、それでも彼の子供だ、あなたも俺も」
彼は俺に昔つくった歌をひとつくれると言う。
何ンだか俺にピッタリの曲なんだそうだが、いくらなんでもそんな事ってあるんだろうか。彼の生まれはアフリカ大陸のはじっこ、俺の生まれはユーラシア大陸のはじっこから落っこちた島国である。いや楽しみだなあ。

5/30(日) 新高円寺 UFOクラブ

其の七

前略
映画を観るのが大好きで、昔からいろんな映画館へ出かけた。いろんな時代のいろんな国の映画を観る事ができて、それだけで東京に住むシアワセを感じたもんだ。
先日も、すごく楽しみにしていた、ルキノ・ヴィスコンティ監督「山猫」ノーカット完全復刻版を観に行った。ブルジョアジーの台頭によるイタリアの革命。支配階級だった公爵も屋敷を捨て、田舎の別邸へ逃げるように移り住む。そのうち彼は歴史の舞台から降り、全ての人々から忘れ去られるのを望むようになる。
今、ふと徳川家最後の将軍を思い出したが、もーあらすじ書いても映画がすりぬけてくばっかりでしょうがないな。かと言ってあのシーン、このシーンって書いててもしょうがない。
3時間を超える大作だけど、どこをとってもまさに映画。どこを切っても本当にゼイタク。ヴィスコンティ自身、ハプスブルグ家の末裔なのは有名だ。
この人の映画を観てこまっちゃうのが他がチャチに観えてしまう事なんだよな。フェリー二がキッチュに観え、デ・シーカは貧乏人で、ルイ・マルは子供に観えてしまう(この監督たちも大好き!)。
まァ今回はあの「山猫」だからねェ。ゼイタクという意味じゃこれ以上はナイんだから。安心、安心。
残念ながら新宿高島屋の上での上映は終わってしまったようだけど、3/26(土)から下高井戸シネマで上映するそうなので、みんな観ましょー!見るべし。
次回のLiveは

2005 2/12(土) 品川カミカゼハウス

古くからの盟友オグラくんと一緒にやります。乞うご期待!

其の八

ごぶさた。なかなか言葉が出てこなくて、ひとり困ってたんだ。
Hip-de-Dipはリズム隊を欠くしてしまった。頭では分っていても、どこかで認めたくなかったのかもしれない。新しいメンバーさがしの大変さを考えると呆然としてしまって、開いたままの口を動かせるようになるまでチョイと時間をつかっちまった。
当面、向井、西井の2人でLIVEをやったり、ゲストを加えてみたり、いろんなパターンで活動しながら、メンバーをさがして行くわ。
まァピンチはチャンスでもあるって言うぜ、よりよいHip-de-Dipにするよ。

歌舞伎座に中村勘三郎襲名興行を見て来たよ。
子供の頃から浮世絵、中でも役者絵が大好きで、TVで中継があったりするとチョイチョイ見てたりしたんだけど、実際に見に行くなんて事考えてもみなかった。高っいからねー、席代が。
ところが、いわゆる幕見席ってのがあって、1幕1000円前後で見る事ができるって教えてもらってから、何度か見に行ってる。3階の奥の席なんだけど、ナニ、東京ドーム R.ストーンズの時を思うとちゃんと目の前に役者がいる。
この前に行った時は、もーあこがれの「助六」を見る事ができた。ともかくトコトンいなせで鉄火で様子がいい。海老蔵も玉三郎も本当きれいでまさにカブキ十八番!だけど、なにしろ話は単純、スジ書きもなにもきれいなんだからいいじゃない・・・てなもンだったけど、今回のはもう少し話が複雑。せりふが分かんなくて中身が理解できなかったりしたらどうしようと少し心配だったけど大丈夫。見てりゃあ分かるようになってんだからすごいよな。今度は近松の心中物やら見てみたい。
ところで俺の歌で「バサラ」ってのがあるんだけど、バサラ者とカブキ者は時代が違うけど意味はほぼ同じ。俺のヘアスタイル、実はそれをイメージしておりまする。

其の九

4月○日
ひさしぶりにJR阿佐ヶ谷駅ふん水前で路上LIVEをやる。19歳のギタリスト、佐合君といっしょだ。
彼に前から「俺も路上やってみたいっすョ。いっしょにやって下さいよォ」とさそわれて「いいよォ、いつでも。ただし俺は俺の歌をやる事しかできないから、それでよければ」って、とにかく集合。打ち合わせナシ。
佐合君はよくついてきてくれました。「オモシロカッター。またやりましょう。今度はミニアンプをもって来ます」
思いの他、音は風で流されてしまうのだ。

4月×日
ひさしぶりでひとりだけのLIVEをやる。荻窪Boxing Lee's Cafeにて。3曲だけのささやかな演奏だったけどおもしろかった。
俺がつくった歌を俺の弾くギターで、俺が歌う。100%俺。それをまるっきり見知らぬ人に見てもらう。いつもとはチィィと違う緊張感がキモチいい。又、機会があったらやろう。
でもね、本当にキモチよくって楽しいのは、そのLIVEの現場、演奏を、誰かと、みんなと、大きくふくらませて、しかも分け合うことだ。
5/15(日)日野 Soul Kではやっぱり向井君といっしょに、5/28(土)品川カミカゼハウスでは向井君、向井君がぜひ一度いっしょにやってみたいと、かねてから言っていたBマン上條君と3人で、6/28(火)下北沢Dasy Barには俺の昔の共演者Dr三浦をかつぎ出し4ピースでやります。
Soul Kでは俺が昔やってた“オーキィドーキィズ”でいっしょにやってたGヤハタのデュオ“大陸”と、カミカゼハウスでは最近なにかとバッタリいっしょになる“YUMISEX”と、Dasy Barではずっといっしょにやりたいなァと思ってた“ペリカン・オーバー・ドライブ”といっしょ。うれしい事です。
それにしても友達たくさんふえたよなァ。若い頃の俺からみるとびっくりするんじゃなかろうか。
昔の俺はどこか人をさけているような所があって、世間のせまさだけが自慢の男の子でした。
でもやっぱりそれじゃいかんよね。
若かりし頃の俺に俺は時々言う。あーあ、あいかわらず俺はそのまんまだよ。でも少ぅし成長したかもね。
だけどまだまだこれからだ。がんばろうぜ。

其の拾

前略
『大陸』のヤハタ君は最近部屋を引っ越したと言っていた。ずい分長い間その部屋に住んでいたハズである。
「取り壊しが決まったんで仕方なくそうしたんだよ。」とヤハタ君は言っていた。実は俺も今月、引っ越すのである。
ヤハタ君と違って俺はなんだか、しょっちゅう引越しをしている。別に引越し道楽があったり、ひと所にとどまってるのがイヤだったりする訳ではないのだけど。
年中サイフをピーピー言わせてる俺なのにどうゆう事かそン時そン時の成り行きでそうなってしまっているのはひとえに俺の計画性の欠落と優柔不断のなせるワザだ。
今度、住むアパートは古くて、ちっちゃくて、奥ゆかしく、可愛い部屋だ。なのに名前は「金箔荘」。一遍できめた。
とかなんとか言ってたら今度一緒にやる『ヤング・マインド・ソウル』のリーダー、マンジロウも今度、引越しをするんだそうだ。
それも阿佐ヶ谷2丁目へだ。俺の「金箔荘」と同じ町内だ。
そういや『ペリカン・オーバー・ドライブ』のDrタケちゃんとその彼女もこのあたりに住んでたハズで、ときどき駅前でSt,LIVEを一緒にやってる19歳のギタリスト佐合君もこのあたりだ。
Oh!なんというロッケン・ロールご町内。

今度のLIVE、俺とマンジロウの引越し祝い、という事で、ぜひ!ご来場おまちしております。

P.S. 俺は独身者専用の「金箔荘」だが、マンジロウは
   なんと一軒家を買ったのだそうだ。
   すげぇ、えらい、えらすぎるぞ、マンジロウ!

其の壱拾壱

いやもうバタバタだった。
私の人生15歳からこっち、ずっとバタバタしどおしなのだが、この2、3ヶ月はホントにバタバタだった。
何があったって まず父の一周忌である。

坊主を呼んで、親戚を呼んで等のことは結局やらなかったのだけど、どうも私、1年たってようやく父の死を実感でき始めたようで日常生活のとんでもない時なんでもない時に、死んでいく、命がだんだん薄くなっていく父の顔がフラッシュバックのように思い出されて急に涙が出たりするのだった。
ただ今現在はもう落ち着いたと思う。

そして、引越し。
いまだ開けてない段ボールが押入れに突っ込んである。
父が会社を倒産させた15歳の時からその時その時の理由で何度も引越しをした。
いつも何かに追い込まれるように。

しかもおまけに今回同時に10年近くやってたバイトもいっしょにやめちゃったんである。
いろいろあったのだが ともかくケツまくっちまったんである。
で、プーである。おうプーだよプー。
ゴーゴー!バカボンのパパへの道。

で、もうひとつ。今、私の手の中にそうそう信じられないものがある。
それは『おめでとうボビー、ロッテ 日本一』サンケイスポーツ特別版という雑誌である。
そう今年の日本シリーズで千葉ロッテ・マリーンズは優勝し、日本一になったのである。

にわかに信じられるか。こんな事が。
31年間 日本一はおろか万年Bクラスに沈んでいたチームである。
ちなみに私は岡山県生まれで千葉とはまったく関係が無い。
私が子供の頃はロッテはフランチャイズなしの放浪のチーム、ロッテオリオンズといった。
この前の優勝は小学3年生だった。その頃から実は応援してたのである。ずっうっと応援してたのである。
ロッテは31年間ドン底だった。77年からフランチャイズになった川崎球場にはカンコ鳥が鳴き、外野席ではあろう事かクソ大学生にマージャンをやられてたり、バカアベックにペッティングまでやられてたりしたのである(流しソーメンをやってるヤツがいるという話には笑えた)。

プレーオフ、日本シリーズとほとんどT.V.で見る事が出来た。(昔は名前は知ってても動いてる所を見た事がない選手ばかりだった)ロッテ・マリーンズは強いチームになっていた。
すばらしい応援団だった。
優勝の瞬間、私はバカな事に「う。」と言っただけで固まってしまった。
マヌケな私は、もの事が身にしみていくのがずいぶん遅いのだ。

父が死んだ昨年、中日ドラゴンズが優勝した。父が戦後からずっと応援し続けていたチームだ。
今年いろんなことがフシ目になった私はロッテ・マリーンズの優勝を見る事ができた。

だからなんだと言う訳ではないのだが、しあわせな、あるいは、おしあわせな、父子だ と思うのである。

其の壱拾弐

仲間を見つけるのは大変だ。
それがドラマーとなるとよけい、むずかしい。

2人でやるアコースティックでのLIVEももちろんそれはそれで楽しいのだけど、俺も向井君もバンドでやりてェなァと願いながらもどこから手をつけていいものやらさっぱり分からないでいた。
メンバー探しは進まなかった。
決して、口を開けて天から贈り物が降ってくるのを待っていた訳ではないのだが。

それがここに来て、俺からするとなんだか拍子抜けするくらいあっさりと、コンノエイジはHip-de-Dipの新メンバーとなった。
ひょっとして天から届いたのかも知れない。
今年8月に亡くなったライブ・バーSoul K のマスターの息子なのだエイジは。

Soul K には何度か出させてもらい、マスター率いるバンドとも共演した。そのバンドでドラムをやっていたのがエイジである。
もちろんその時はいっしょのバンドでやるなんて事は思いもよらず、若いのにしっかりしたドラムをやるヤツだなと思っただけだった。俺たちはマスターにずいぶん気に入ってもらい、俺は手書きの名刺をもらった。
それから2、3ヵ月後である、マスターが心臓だかなんだかで急に亡くなったと聞いたのは。
まだ若かったし、豪快で偉丈夫といった感じの人だったので本当にびっくりしたしショックだった。そのとき初めてあの若いドラマーはマスターの息子なのだと知ったのだった。

エイジと連絡を取ったのは今月の初めである。
俺のことを憶えていたようで、バンドの話をしたがったが俺はまずお父さんのお悔やみを言った。
それでもエイジはバンドの話をするので、俺はワキの下に冷や汗を感じながら「Hipでドラマーを募集しているんだけどお前どう?」 と聞くとエイジは「俺でよければぜひ」 と即答だ。
あれェと、とまどう俺。ドラマーなんてのはあっちこっちで引く手あまたなんだ。
特にエイジのように若くてセンスのあるドラマーは。

なにはともあれみんなでスタジオへ入った。上條君にまたもやムリを言ってベースを弾いてもらった。びっしり2時間俺たち4人は幸せな演奏をした。なんてこった。
再びエイジに聞く。「Hip-de-Dipに参加するかい」 エイジは笑いながら「ハイ、ぜひ」 ともう一度言った。

よし決まり。エイジはHip-de-Dipのドラマーである。

1月18日(水) 大久保水族館は B上條君に手伝ってもらい、Hip-de-Dip西井,向井,コンノエイジの4ピースバンドでLIVEをGO

マスターも見に来てくれよ。

其の壱拾参

寒む。おおぅ寒む。
今年の冬は長げェなァ。

異常気象のせいだっていうけど10年も続きゃ異常じゃなくなるよ。T.V.ニュース見てたらモスクワは−30℃だって。想像つかんワ。
おもしろかったのは 動物園の職員がこいつも寒くて大変だろうってアフリカゾウにウォッカを飲ませてんの。
樽かなんかにウォッカまとめてぶちまけて、それをゾウが鼻ですくって飲んでるVTR・・・笑う!
さすがロシア人。やる事が普通じゃないだけじゃなく生活の分母がいつもウォッカ。

とえりあえずウォッカ。まずウォッカ。最後にはウォッカ。
すばらしい。

俺の好きなロシアの笑い話、
「この世に醜女なんていない。ウォッカがたりないだけだ。」

冬来たりなば春遠からず、だ。がんばろう。

其の壱拾四

とうとう東京でも桜が満開になったね。
なったとたんに冬に逆もどりしたみたいだけど。3月27日 朝早く桜を見に善福寺川緑地公園に向かってチャリンコを飛ばす。
俺の住む“金箔荘”から10分ていどで行くことのできる桜の名所だ。
上野とか千鳥ヶ淵ににくらべると・・・いささかじみめだけど。
ヒョコヒョコとチャリを走らせ公園にいたる前の坂の上に立つと並ぶ屋根の上にもう桜が沸いているのが見える。公園はまだ早いからか、人もまばらだった。
春のかすみがここへぜんぶ降りてきているようだ。蛇行する川に向かって、ベンチの向こうで、スベリ台とジャングルジムのあちら側で、もう泡をふいたように桜が花ひらいている。 うひゃああ、いったいどこだ。ここは。うそ!?
聞こえているのはウグイスの声だ。東京都杉並区丸の内線のすぐ向こう、だよな ここ。

まァ、いいや そんなこと。本当、どうでもいいや、あれこれなんて。
川ぞいの桜のトンネルをくぐる。ずうっと くるくる進んで行く。
桜だ。桜だ。桜と川だ。桜だ。花だ。桜と空だ。
俺は花にだかれている。俺はもうすでに死んでいる。
シャバの事なんて知らないよ。俺はそこにはいないんだから。
もう何もかもが一切の彼方だ。
どのくらいの間 そこにいただろう。時計はもって行かなかった。俺はシャバへ帰って来た。
落ちていた桜の小枝をひろって来た。俺のウィスキー用のグラスに挿しておいた。
今、そこで咲いてる。

其の壱拾五

今回初めてLIVEに加わってもらう浅野君を交えたリハーサルはとても快調に進んでいて、それをイイ事にしばらくやる機会のなかったレパートリーも少しずつ練習している。
「エレンディラ」という歌が俺のモチネタであるのだが、バンドではここンとこ、ごぶさたさせてた。
ずいぶん昔につくったヤツで、Picoダンス,オーキィ・ドーキィズ,そのつどのバンドでもやってた、自分でも割りとお気に入りだったんだろう。でも、「どうも、何ンか、違うナ」と小さなトゲがいつも頭にひっかかっていた。
俺の中で鳴っていたのはサンバ,あるいはクレオール調という風な(中々、言葉にはしにくいわナ)もンだったのだが、思いの外、叙情的すぎたり、ロック調すぎたりして(中々、言葉にはしにくいわナ)アコースティック・ギターのみのシンプルな演奏が一番しっくりくるのかなアと感じがしてたのだけど、今のHip-de-Dipでこれをやるときっと面白い、と何やら急に思い立ち、エイジにパーカッションやってもらてみたり、みんなでいろんなリズムの刻み方を試してみたりと手探りをしながらリハを始めたんだけど、本当とてもイイ感じで、全体が現れて来ている。楽しみにしててよ。
このきれいな「エレンディラ」という題名はもちろんガルシア・マルケスの中編小説「無垢なエレンディラと無情な祖母の信じがたい悲惨の物語」からのものだ。若い頃、この美しくて、残酷な物語にきっと誰もがそうしてしまうように、俺も我が身を重ねて読んだもンだった。
裏シンデレラ・ストーリーというか、精製していない物語のネガがポイとそのまま投げてあるといった風な小説で、俺はとても感銘したンだよ。で、まァ、いつの間にか歌にしてしまっていたと言うしだい。
読んでない人もお勧めだよ。とても面白いから。
俺は観てないんだけど、これを原作に映画もあるそうだ。観てみたいなァと思いながら未だお目に掛かってないけど。蜷川幸雄も今年だか、舞台にするそうだ。
あっ、でもまずHip-de-Dipを見に来てね。

其の壱拾六

ここ最近 何年かの間に何度か歌舞伎座に足を運んでいる。地方出の俺だから、昔は歌舞伎に接するにはT.V.中継か写真しかなかった。
HipのLIVEはモチロン別として、今一番俺のテンションが上がる場所だ。先月は玉三郎の「天守物語」、先々月は仁左衛門の「荒川の佐吉」を見に行った。
この二つの演目、実は江戸時代に成立したものではなく、それぞれ明治、大正時代にひとりの作家が脚本を書いたもので、歌舞伎としては例外的であり、特に「天守物語」は はっきり歌舞伎とは異なる“演劇”だった。
浮世絵をご覧になった事があるだろうか。やはり江戸時代に成立したものだが、何ンだかいろいろびっしり描いてあるなあ と思ったりはしなかっただろうか。何ンだかうるさくて目がチカチカするよ、とか。その絵は実は広げて壁にかけるものではない(もちろん例外はあって北斎の「富嶽三十六景」等は富士山の絵であり信仰の対象であるから、どこかに“かける”事はあったかもしれない)。
ダ・ヴィンチでも、ゴッホでも、ピカソでも、ヨーロッパ絵画の場合は、壁にかけるものである。1,2歩さがって その画面全体が見て取れるようにして眺めるものなのだが(だから画面構成というのは大変、重要だ)、浮世絵というのはチョット違って、手に取り、見やすいよう折り曲げながら、少しずつ、読むものなのである。だから、あっちにもこっちにも広げると うるさいくらいびっしりと描いてある。どこをどう見てもあきさせませんぜ という訳だ。あるいは、今こんな帯が最新流行になってんだよ、とか。重要なのは全体の構図よりも細部の美しさなのである。
現在の歌舞伎では、いや、すでに江戸の中頃からひとつの芝居を最初から最後までストーリーを追って順に見せていくと言うことは殆どやらない、らしい。例えば、歌舞伎で「スター・ウォーズ」をやろうという事になると、今回は「ルーク・スカイウォーカー、フォースを学ぶの段」と称して、そのシークェンスだけをひとつの演目として、長々とやり、この後日談は、はい、またいつか。今日はこれまで。と、いう事になる。そのいつかはいつになるのかは誰も気にしない。全体のストーリーは二の次にされていると感じるでしょ。
ドラマ=対立 が引き起こす事件の顛末を舞台で再現する、という事が根本にあるヨーロッパ演劇とはモノが違ってると感じるでしょ。カブキは元来、素朴だが奇抜なストリート・パフォーマンスとして始まったと知られている。
歌舞伎は“傾き”から来ているそうだ。カブキは客をとるため、大きく成長するため、徳川幕府、明治政府、GHQからの弾圧から逃れるため、そしてなにより客をあきさせないため、さまざまな手法を身に付けることになる。
“能”をまねて物語をのせること(だから役者は今でも演目のことを“○○の狂言”と言ったりする)、全員が男で、女も男が“女形”として演じる事。花道をつくる事、どんでん返しをつくる事(筋書きの事ではなく大道具が文字通りひっくり返る事)その当時の事件をそのまま演じるとさしさわりがあるので昔々の事件として“狂言”にする事(その際、「平家物語」から多くを引っ張ってきているのはもちろん“能”の流れからいただいている)。ドハデな衣装、くま取りという異様な化粧。「ミエを切る」と呼ばれる、ヘンテコリンな格好をしたストップ・モーション。その他いろいろ。
明治期のある文豪が歌舞伎のことを、演劇の“ぬえ”か“スフィンクス”のようだとコメントを残している。両方ともさまざまな動物、鳥、爬虫類、想像上の生物が合体した姿をしている。そーゆーもンだというのは分かるが、全体像が掴みづらいという意味もあるそうだ。
「絵になるねェ」とか、「まるで絵のようにきれいだね」という言い回しを、とかく俺たちはよくすると思うが歌舞伎はそのように感じる美意識をそのまま丸ごと舞台に咲かせようとするのである。自らの存亡をかけて。舞台の上に美しいものとして姿を現せる事。それ以外はそれを支えるつっかえ棒でしかない。
様々な時代、物語,人物,手法が交錯する板の上、しかしそれは俺には「混在」というよりも「増殖」という言葉を、思い出させる。もちろん歌舞伎はあらゆる文化、風俗を自ら取り入れてきた。しかし、俺にはそれが 水が有れば水のとどくところへ、光を感じれば光のとどくところへ、枝葉をのばそうとする桜の木のように、きれいならば、絵になるならば、そこへ手をのばし、自己増殖を続けて来たかのような巨木に映る。それがすばらしい花だった時、息をのみ、感動するのである。
歌舞伎には“ツラネ(連ね)”というあまり深い意味合いを持たない長ゼリフを延々と続けるという(“to be or not to be”とは対極の)芸があるが、ここではセリフが音楽として登場している。

其の壱拾七

ジョン・ライドン(ジョニー・ロットン)は俺が歌をつくり歌い始めた大きなきっかけのひとつだ。彼をまねてパンク・ファッションをやってた十代の頃から今も、俺のアイドルだ。

この前エイジと話してて思い出した。「NO FUN」と言うセックス・ピストルズの実際の映像やインタヴューを編集したドキュメント映画だ。ハイライトは、ピストルズが行った最初で最後の米ツアーのLIVEシーンなのだが、はっきり言ってヒドイ。ヘタクソなのはともかくとして、もうまるで覇気がなく、客もバンドもシラけきっている。申し訳なさげに下を向いたまま演奏を続けるバンドと、ポカンとつったったままの客。Vo.のジョニー・ロットンのみ マイクにかじりつかんばかりにさけんで浮いている。曲は、イギー・ポップのカバーで「NO FUN(くだらない)」。ジョニーは何度も叫び続ける、「NO FUN」と。もうこの時には脱退をきめていたんだと思う。そして棒立ちの客達に問いかける。「どうだ?だまされた気分は。」とても短い期間でピストルズはストリートにたむろするパンク・ロッカーから、ロックン・ロール・スウィンドル(ロックン・ロールのさぎ師)に方向をシフトしていたのだった。怒号を続けるジョニーがいたいたしい。

でも、この映画を見た時には俺はもう知っていた。この後ジョニーは本名のジョン・ライドンにもどり、パブリック・イメージ・リミテッド(以下P.I.L.)を率いて「メタル・ボックス」「フラワーズ・オブ・ロマンス」という2枚の傑作をモノにする事を。

憶えてますか?「ゲルマン民族の大移動」又は「ゴート族の侵入」。立場の違いで呼び方が変わるだけで同じ事を言ってる。やって来た方は「移動」だと言い、やって来られた方は「侵入」だと言う。(ゴートは蔑称だとの話も)どこへ?北から南へ、辺境の地からローマ帝国へだ。中世まではヨーロッパというガイ念がまずない。ローマとその他野蛮な地。昔の東アジアが、中国とその他野蛮な地、というのと一緒だ。文字をもたず、狩猟採集と牧畜、原始的な農耕で暮らしていた彼らが、崩壊寸前だったローマ帝国を浸蝕してその文化を吸収する。再び、いくつかの部族に分かれ、それがイギリス、フランス、ドイツ、などの王国をつくり、てんやわんや、いりみだれて、ヨーロッパとなるのである。
古代、そまつな服を着て、のばし放題の髪とヒゲにバターを塗りたくり、小さな部族に分かれたゲルマン民族は生きていく為ローマをめざし、ドナウ河を渡る。掠奪と破壊をくり返しながら。そのことを思い出させるのは決してゲルマン民族的優位を信じていたワーグナーではない。もちろんモーツワルトやバッハな訳なく、それはイギリスのチンピラパンクロッカー、ジョン・ライドンなのである。彼はこのアルバムで、まったくの非ロックを非バッハを非黒人音楽を創った。小さくシンセが聞こえるが、ほぼその空間にはバスドラム、スネアドラム、そしてジョンのVO.があるだけなのである。単調な、押し黙ったかのような、大ダイコと小ダイコによるリズム・リフがくり返され、その上に和音をまったくムシしたかのような旋律を、まるでそれこそバグパイプのような声のVO.がのる。こんな歌を歌うのは彼以外にはまったくムリなように思える。
荒野にひとり そまつな斧をもって旅を続ける人間が見えたのである。

最初にジョンはアイドルだとした。ヒーローとはしないで。俺自身キライな言葉であるからでもあるが、何より彼が嫌悪してるだろうし、似つかわしくないと思ったからである。

其の壱拾八

年末ですね。師走とも言う。いやだなぁ、バタバタとせわしくて。
走ってないでドンと構えて座ってなよ、師匠。昔とちがって今は
1年中いそがしいんだから、年末だからってよけいに急ぐことも
ないでしょ。支払は毎月ちゃあんとやって来やがってるし、
大そうじったって「大」の字つけんのおこがましいくらいの
ごくごく控え目な家なんだし、有馬記念はディープ・インパクト
で鉄板だし、クリスマスなんてケーキが1コありゃ充分。えっ
酒はどうするって…あ、それは要るなぁ。それはもう要りますよ、
ええ絶対。どのくらいったってそりゃあ、ありゃあるだけ結構です。
酒を買うのにも金がいるって。そうだよな、そりゃそうです、
分かってます。働きます、ええェ働きますよ。…シャンパン、いいね。
おぉブランディなんかもたまんないね。あ、ビールはもちりん必要です。
え…買い物に行けって。…はあ、いそがしいなあ。

其の壱拾九

いまだ尾を引く「発掘あるある大辞典」のヤラセの事。T.V.の図々しさ、いい加減さに、あいた口がふさがらないのはモチロンだけど、何より俺がおどろいたのは、あの店頭からの消え方だよなぁ。スーパーの棚のそこン所だけカラッポだったものね。ぎっしり並んだ商品の中に突然できた空白。いったいどんな売れ方をしたんだろうか。見てないから分かンないけど。
そンでダイエットにいいってのはウソだったとなると、もう納豆 店頭にあふれてるもんね。売れるんで作り過ぎちゃったてぇのもあるんだろうけど。いいじゃん、やせなくても、安いし、おいしいよ納豆。俺は好きだけどなぁ。
それにしても恐るべきなのは「ダイエット効果」という言葉の絶大な「効果」だよ。
納豆、確かにきらいな人も少なくないよ。ほとんどいみきらっているなんて人も俺は何人か知ってる。なのに、「やせる」「ダイエット効果がある」とT.V.でやったとたんスーパーから、コンビニから姿を消すほど売れるんだから。
うむ。そこで俺は思いついた。「Hip-de-Dipのダイエット効果」広告だ。
「やせる!Hip-de-Dipの中にふくまれるニロイシヒタダ菌とダイエットのおどろくべき関係」「Hip-de-Dipを見に行った30代女性わずか30分で5kgのダイエット」「DVDを見ただけで2.7kgやせる!」「Vo.西井のアバラの浮いた胸を見よ!」「2時間ジョギングするのと同じだけのカロリー消費!」「今までダイエットに失敗しつづけた人が最後にすがるHip-de-Dip!」
これりゃあ、今年は売れむわくりだあ!!

其の弐拾

今年の桜の時期は短かったねェ。本当、あっと言う間だった。満開になる前に もう葉っぱがチラチラ出てたりしてたもんね。桜がきれいに開花するには、冬の きびしい寒さが必要なんだそうだ。それに春の暖かい風と恵みの雨でワァっと いっせいに花を開くんだって。この冬は暖かかったし、春の様子もなんだか変 だったもんね。花が散るのはさみしいけど、春はまだ始まったばかりだ。
あ、チューリップ咲いてんの見たよ。やっぱ変なのかなァ、世の中。
今、バンドはミニ・アルバムを作るべく下準備をやってる。フル・アルバムにしたか ったし、現時点でのレパートリー全てを記録したかった。
メンバーからもあの曲は演らないのか、この歌を録音しないのかって話もあった んだけど、「予算の関係上」この誰もが押しだまる他のない理由でミニ・ アルバムとなったが、その分 Hip-de-Dip の今≠最大限、コアに、分かり やすく感じられるものにしようと思ってる。かなりラフな感じになると思ってんだけど、 ある人がこう言ってたそうだ。「 Hip ってジャカジャァーン、だよね。」
その通り、ジャカジャァーンとやってサッサと形にしよう。
(録音してから又、いろいろ手間かかるんだよねェ)

皆々様  乞う御期待。

其の弐拾壱

前略
ここんとこ、ようやく梅雨らしい天気が続いてるね。
雨降りはうっとおしくて大キライだけど、降らなきゃ降らないで大弱りなんだからグチを言うモンじゃないな。
今週末は七夕様だ。毎年、七夕の日には雨が降ってるような気がするんだけど、今年もやっぱりそうらしい。
子供の運動会じゃないんだから雨天延期とはいかねぇか。

天の川のあっちとこっちにいるあの2人も随分ひさしく会ってねェんじゃねェか? もう、いいかげん別れちまったらどうだ、あきらめて。
おたがい他にいい人見つけなよ、縁がうすかったんだよ。
ンな事言っちゃいけねェか。人の恋路に口をはさむなァそれこそ野暮天。ましてやあちらはお星様。

笹の葉に願いごとを書いた色紙をかざるのは、楽しくにぎやかで気持ちのいいもンだった。
願いごとっても誠ささやかで「成績がもうちょっとよくなりますように。」だの「泳げるようになりたいです。」だのかわいいもンだった。
「ぬれてで粟で大金せしめておおぜい女を囲いたい。」とか「全世界同時革命樹立。」とか、あんまり図々しいのはなかったな。
「早く部長になりたいです。」やら「○○さんの奥さんと1発でイイからやれますように。」なんて、ひかえ目なのか図々しいのかよく分かんないのがあっても気持ちわりぃけど。
俺も今年は雲のかなたの星に願いを聞いてもらおう。

どんな願いかは言わぬが花。

其の弐拾弐

ずい分とごぶさたしてしまった。この頃、俺の身の回りに起こった事、 日頃俺が考えてる事、思った事、等を書いて行こうと始めたのであるが、 CD作りでバタバタ(モタモタ?)しているのところへ、この夏の初めに 母にガンが見つかってしまった。
それは俺の思慮や、とまどい、恐れ、 都合などは一切おかまいなしに進行して行き、今もドトウの進行中である。
その事を整理して文章にするだけの余力は今ない。そこで、ちょいと趣向 を変えて普通名詞、固有名詞を「御題」にいろいろ書いてみたい。
第一回目は「テレキャスター」である。
テレキャスターとはエレキギターのブランド名の1つで、フェンダー社が 製造、販売しているギターの中で最も古いタイプの物だ。 俺がステージでかかえているアレである。もちろん俺のはヴィンテージなど と言う「ソレって車の値段?」的な物ではないが。
子供の頃好きだったギタリストはテレキャスをもった人が多かった。 アンディ・サマーズ,アルバート・コリンズ,キース・リチャーズ,ウィルコ・ ジョンソン,スティーヴ・クロッパー等。
カマボコ板のようなシンプルなルックスと、シャープでエッジの強いその 音触に引かれた。いろんなタイプがあるギターの中でテレキャスは最も好きな ギターであり、俺が手にしているそれは俺にとって何にも変えがたい1本だ。
俺がバンドの中でやってる事はそう多くない。音に厚みをつけたり、アクセント をつけたり。そうゆう役割に俺のテレキャスはピッタリなんである。
ただひとつ淋しいのはギターショップの前で、 ああ、あのギターいいな、このギターもいいだろうな、とぼんやり眺めている 子供じみてはいるが、チョットした楽しみが薄くなってしまった事である。

其の弐拾参

「CD」

とうとうCD出来ました。もっと早く出せたのかも知れないが、この 時期になったのは、ひとえに俺がトロいせいだ。
しかし、関わってくれた人みんなのおかげで、とても自主制作だとは 思えない出来になりました。入魂の5曲である。
おおお願いだあ。買ってくれえい。こおて下さりませえい。
四枚、五枚とは申しませぬ。1枚だけでよいのだ。
決しておじゃまはしないから。・・・ねっ。
この世にiPod が出現して、CDばなれが話題になった。実際に影響も あったようだ。なにしろあんな小さなメカの中に何が入れてあったか 憶えているのも不可能な曲が収めておけるのだから。CDの置き場に 頭を悩ませる事もない、自分のお気に入りだけをごまんとポッケやバック に入れて持って歩ける。そりゃもういい事づくめである。
しかし、ここへ来て豪華なブックレットの付いたCDが飛ぶように売れ、 ついこの前、CD売り上げの記録をぬりかえるアルバムが出た。「もう CD買わなくてすむ」と言っていた俺の知人もやっぱり毎月、山ほどの CDを買っている。
活字ばなれが長く叫ばれていた出版界もネット文庫の出現にふるえ上がっ ていたようだが、あいかわらず、ベスト・セラーは世に出続けている。 これはモニターで文字を見るのはつかれるとか、人は便利な方へ流れ行く、 とは又、違う部分なのではないか。
やはり生身の人間、それだけでは情報が情報としてだけどこかで浮いている と感じているのではないか。
CDなり、本なり、目で見え、手で触れる事の出来る型の物を自分自身で 所有したい。自分の品物として手元に置いておきたい、それは私のお気に入り だから、と感じているのではないかと思う。
所有欲とはヤヤこしいモンかも知れない。
買ってくだされえい。

其の弐拾四

「暮れ」

青梅街道ぞいのイチョウ並木が山吹色を濃くしながら落葉している。
商店街は X'mas やら歳末大売出しやらの看板やペナントで真っ赤に 色づいている。
俺は今年もこの街で暮れを迎えようとしている。
母もついこの間までこの街で、俺を待っていてくれた。
母は先月、去った。ガンの進行は俺達や医者の予想をはるかに超える 速さだった。
もういいや。と、母は思っていたのかも知れない。
元来、自尊心が強く、他人に助けを求める事をよしとしない人だった。 それが息子の俺だ、としても。
元気な時は月に一度 デートをした。待ち合わせは阿佐谷駅前だった。
約束の時間には少し早過ぎたなと思いながら、駅へ行くと、もう母は そこに立って待っていた。雑踏の中、首をのばして俺の姿を探していた。 母は可愛い人だった。
今も、駅前を通りかかる度に、母が待っていてくれているのじゃないか と思ってしまうのである。

今年も暮れていく。

其の弐拾五

ずっと1冊の画集をながめてる。パブロ・ピカソの代表的な作品を 網羅してある物で全紙サイズのバカでかい、いまいましいほど 重たいシロモンである。箱から取り出して表紙の裏を見ると筆で 「 昭和五十二年十月二十六日 西井匡広 」と書かれている。
俺が12才の誕生日に両親にねだって買ってもらった画集なんである。 何もかも捨てて来た。それこそ何かを手元に残しておきたいなんて 考えもして来なかった俺の生活の中で、なぜかこの画集だけはこの 年になるまで持っていた。不思議だよな。他の書籍やレコードや、 CDや、服、家具、なべ、カップその他いろいろ全部引越しだとか、 女と別れたからだとか、たまたまゴミの日に早起きしていたからだ とかで捨てて来てるんだもん。
「 昭和五十二年 」3年後に家が破産してしまうなどとは夢にも 思わなかった頃だ。俺はピカソの絵を見て遊ぶのが大好きだった。
ピカソについて何が俺に語れようか。その放題なエネルギーに喜ぶ ばかりである。エゴでもエロでもそれがどーした?意味とか、目的 とか、合理性とか、能率性とか、美とか。そんなもンどっかへうっ ちゃっとけ。俺は今、ここにいる。永遠なんて分かンないよ。
明日の事なんて知らない。昨日がどーだったか憶えてない。
今、この今、あーその行っちゃいそーなその今。あー行っちゃった。
ありゃありゃ、そうそうこの今、このこのこのこのこの今それをだきたい。
30年前に買ってもらった画集と遊びながら
今、新しい歌をつかまえようとしてる。

其の弐拾六

2月3日、節分の日のSoul KのLIVEの日、の朝。もう東京は真っ白だった。
夜中からもう雪は降っていたらしい。2年ぶりの大雪だったんだそうだ。
窓から外を見てアチャーとうなだれた。雪の予報はもちろん知っていたが、 この目の前の白い現実にはやはり圧倒された。不粋な事を言うようだが俺は 雪がきらいだ。寒いともう泣きたくなる。何よりこんなに降ってしまっては 客入りにも当然ひびく。しかし、うなだれてばかりはいられない。バンドマン は現場にあらわれてナンボだ。表に出るとなぜだか、ちょっと気分が変わった。
LIVEステージは非日常であるべきだし、雪の日は俺にとっては非日常だ。
日野へ向かう電車の中から見える風景も非日常で、俺はずうっと窓から外を見 ていた。子供か。
節分も又、祭りで当然非日常だ。雪の中足を運んでくれた皆様、ありがとね。
楽しかったね。
次の日には街の中、アチコチで雪ダルマを見かけた。大きいのや、小さいのや、 ちょっとかたむいたのとか。子供たちが集めて作った雪ダルマが、とけてまた 空へ帰って行く。ダルマさん、ダルマさん、俺の思いも天へ運んで行っておくれ。

其の弐拾七

前略
花が咲きようやく春めいてきましたね。
日が少しずつ長くなり、風が南よりで温かになった。
もうダルマのように着こみ、マフラーをグルグル巻きにして、ブ厚い手袋を しなくてもすむんだと思うと、それだけで気持ちも軽やかになる。ベッドから オンでて、表へ出かけてみようと思うことができる。
俺の住む町では梅や桜を庭に植えている家も多い。
缶ビール片手に辺りをブラついているだけで花見気分だ。

    梅の花 夢に語らく みやびたる
    花と我思う 酒に浮かべこそ

「万葉集」の中のよみ人しらず、とある歌である。
梅の花が夢にでてきた、「私は風雅な花でしょう、お酒に浮かべてちょうだいな」 と言った。てェな歌なんだそうな。
実に結構。そう思うでしょ。

其の弐拾八

5月25日のSoulKでは、最後に川上龍一 with 市川"JAMES@m二、 Hip-de-Dip全員でセッションをやった。
R.ストーンズの「HOT STUFF」 S.スライダースの「So Heavy」の2曲。
JAMESは普段こんな風にポンとセッションをやるなんてことはしない そうなんだけど、この日は音出しから付き合っていただき、大変光栄で、 楽しゅうございました。
ご本人の目の前でスライダースを歌うのはチョッとテレたけどね。

6月2日水族館、浅野はいつもとは少し違うプレッシャーを感じていた。
この日のLIVEがハネた直後、今年めでたく結婚した、向井と夫人には 内緒でちょいとしたパーティをやろうともくろんでいたのだった。
こんな時、俺ほど助けにならない男はいない。結局浅野は孤軍奮闘、 仕込みから司会までやったのだった。
いいパーティだったと思うよ浅野。おつかれ、ありがとう。
向井夫婦、長い春でしたね、これからも末永く二人いっしょにね。
おめでとう。

この日の対バン「どや」と「夜蝶の舞」はどちらも初めてごいっしょさせて いただいた。面白い一夜になりました。
また何かあったらいっしょにやろーね。
水族館のマスター、いろいろわがまま聞いてくれてありがとう。
来てくれたみんな、本当どうもありがとう。

其の弐拾九

少し前の事になる。それでもまァ、4,5ヶ月である。
あまりのバカバカしさに振り返るのもいやだったのだが、さすがに もう冷静になった。聞いていただきたい。
いったい何事だよと思われるかも知れないが、えーっとね。その… マンホールに落っこちたのである。何が?俺自身が。
確か今年は2008年である。新聞の夕刊の四コマ漫画にもそんなオチ は絶対に現れないと断言できる。いちいち調べた訳ではないが。
俺は普段から、何もない道で転ぶ。電信柱にぶつかる。かもいに頭を ぶつける。木の枝に目がささる。そんな男である。であるから、いつも 細心の注意をはらって道を横断している。(ヨッパライがよく言うよと 茶々が入りそうだが信じてほしい)
しかし。まさか。マンホールに落ちるハメになるとは頭のスミのその ハシッコにも、ついぞ思いつく事はできなかった。
マンホールに落ちた男だ!俺は!バンザイ!ギャッハハハハ…!
なぜかマンホールのフタが開いていたのである。工事中でも、作業中 でもなんでもない。ヘルメットをかぶったお兄さんが頭を下げている カンバンの付いたカコイもなんにもない。ムキ身の。生身の。
ムフッ…いつでもイイワヨ。突然ぽっかり開いた穴。ああ、もう落下 してしまう他はないフタナシマンホールだったのである。
マンホールに落ちるとイタイ。マンホールに落ちるとビショヌレである。 ともかく、ものすごくハズカシイ。あっちこちぶつけたが、その時はもう それどころではない。何がおこったのか訳が分からない状態から、自分は マンホールへ落ちたのだというその現実を受け入れるまでの気持ちの ギャップというのは、いったい何にたとえればいいのか。よく骨折れな かったよ。いや、よく死ななかったよ。これで死んだらそれこそ夕刊フジ にのって笑いモンだよ。
…それとも、それもよかったのかなあ。
…俺はちゃんと冷静になれているだろうか。

其の参拾

赤塚不二夫、死んだね。
俺のヒーローでした。何年も前から、意識がないと伝えられていたから、 ああ、とうとうそれがやって来てしまったか、てな思いですが。
言ってもしょうがないことで、順番だからなと頭では分かってるつもりですが。
少年の頃、俺は、赤塚不二夫かチャップリンになりたいと胸を焦がしたヤツです。
何度も、何度も、同じページの所でころげ回って笑っていました。本はもう バタバタになっていましたが。
漫画もヘタクソな亜流の赤塚不二夫のマネをずっと画いていました。
ニャロメが学生運動の時(古い話だな)、有名になってマスコミはその事を ほり出して、批判精神だ、パロディだ、ウンヌンと言ってるぜ。バカバカしい。
俺たちは読んでケラケラ笑ってただけなのにな。
ギャグなめんなと申し上げたい。

二つの言葉をならべてみたい。
ひとつはイギリスの詩人ウィリアムブレイクの一節
「お父さん、そんなに早く行かないで下さい。我々はどこを行けばよいのですか」
も、ひとつ バカボンパパ
「これで、いいのだ」

其の参拾壱

夏は去った。肌で感じますね。夜明けの遅さや夕暮れの早さにも それを教えられる。
夏、終わる。淋しいなァ。
何ンだかこの夏は雨ばっかり降ってたような気がする。
梅雨。ゲリラ豪雨の夏。長い秋雨。日本もとうとう雨期、乾期の 国になってしまったのだろうか。
夕立、なんて風流なこと言いづらいくらいだったもんね。
よく「バケツの水をひっくり返したような」雨なんて形容したり するけど、なんのなんの。「真っ黒な雲の上に勢揃いした無数の 消防士たちが悪意を持って地面に向かって一斉に放水している」 と思ったものだ。ゲリラ豪雨のド真ん中、折れた傘を持ち立ちす くみながら。
Soul K のお膝元、日野市でアートフェスティバルというお祭りに 我々Hipは参加させてもらった。
公園の中、森の様に茂った木々の中、屋外ステージを組み立て、 ドラムスやPAを運び込んだLIVEイベントに出演したのだ。
俺達の出番は正午過ぎで、イベントの参加、屋外ステージ、昼間 の出番と3つのずいぶんお久し振りが重なったが、大変気持ちよか った。俺達の事をまったく知らない人達が、俺達の演奏に足を止めて、 聞いて、拍手して、踊ったりしてくれているのを見るのは本当に嬉しい。 アンコールの声を上げてくれた人達ありがとね。
だが、俺達の演奏が終わった直後、雨だ。
幸いゲリラ豪雨とまではいかないが本降りの雨になってしまった。
お祭りの日ってけっこう雨が降ったりするけどね。
それでもみんなで傘を差し、後のLIVEを見物し、ビールをのみ、 キュウリをかじり、ヤキソバを喰らい、とても楽しい1日だった。
今日も雨が降っている。が、もう秋だ。

其の参拾弐

17才。初め買ったエレキ・ギターは¥3,000だった。
金もないのに(今もそうだ。残念な事に)俺はエレクトリックギターが どうしても欲しかった。
楽器店からもらってきたカタログ、友達の持っていたギター雑誌なんかを 見ながら、あれもいいな、これもカッコいいわねぇ などと、ファッション誌に 喰いつく女の子さながら目を星にして、ため息をついていたのだが、 なにせ先立つモノが先立たない。Fender、Gibson なぞ、もちろん 虹の彼方だった。
ある日、ダチとアホヅラを並べて街を歩いていた。いつもなら通り過ぎて いたろう、一生そんな店があるなんてことに気が付かなかったろう、一軒 の古道具屋の前で俺は思わず足を止めた。目をはなす事ができなく なった。うす暗い店の軒先に赤いエレキ・ギターがぶら下っていて しかも、 しかもだ。ついていた値札には おお、神様 赤マジックで¥3,000と 書いてあったのだ。
買う!買う!今、買う!もう買うっ 買うったら買う。
手持ちの金は¥2,000とチョコッとしかない。ダチにたのみこんで ¥1,000借り「これチョーダイ」とそのギターを買った。ギターケースなど 買う余裕はもう無い。もっともその古道具屋にも売っていたかどうか、 裸のまま肩にかついでもって帰った。はずかしい事に得意満面で。
家に帰ると今度はどうしても肩から吊りたい。ロック・ミュージシャンは みな肩からギターを吊っているではないか、俺もそうしたい。ストラップ は買っていない。昔の母親というのは何でもとっておくものだ、ビニール ひもをもらってきて、それを結んで吊った。やってみるとわかるが(やらないか) これは結構痛い。ギターの重みがビニールひもを細くして肩にギリリと 喰い込んでくる。ガマンする事にした。
とにもかくにも俺のギターなのだ。俺の赤いエレキ・ギターなのだ。ついていた 鉄弦はサビついていた。まァいい、俺の赤いギターなのだ。ヘッドを見ると なァンのくふうもない文字で、Tender と書いてある。まァいい、俺の赤い ギターなのだ。チューニングをするとものすごい弦高になってしまった。 これでは“F”が押さえられないではないか。まァいい俺の赤いギターなのだ。 ものすごい力を入れて押さえた“A”たったひとつの音を俺はその夜ずぅっと 狂ったように弾き続けたのだった。

後日、そのギターをダチの家にあるアンプにつながせてもらった。鳴らなかった。

其の参拾参

前回この項に登場し、バカヅラ並べて俺とツルみギターを買うための¥1,000を 貸してくれたのは、カガくんという俺のクラスメートだ。俺達は悪名高い○山工業 高校の1年生だった。なんで悪名かというと想像がつくと思うが、バカかヤンキー、 あるいはバカでヤンキーしか校内にいなかったからだが、もちろん 今は我が母校 も昔とは違っていると信じたいと思いたいと書きとめておきたい。
ま、当時は、職員室にダイナマイトをほうり込んだヤツ。
土木課B組に籍をおきながら校外の組にも籍をおき、時々そのおそろしげなバッヂ を光らせているヤツ。
シャブ中のクセに時々、登校してくるとボーッと中庭にすわって飽きると、どっかへ 帰ってくヤツ。もう来なきゃいいのに。
エモノをのんでるヤツ。メリケンかくしてるヤツ。
カツパン買いにリーゼントゆらして走るヤツ。
食券買いに転ぶヤツ。けっこうな値段がしたろうにそのバイクに乗って死んじゃうヤツ。 机を投げるヤツ。殴り合いを始めるヤツ。ベントーを喰ってるヤツ。授業中、起きてるヤツ。 アイドルの写真集を自慢してるヤツ。話しかけるのもはばかられるほど、とにかく、もう、 コワイヤツ。リアル・ビーバップハイスクールである。
そんな中、カガ君と俺がツルむようになったのはセックス・ピストルズを知っているという事 ただ1点だけだった。カガ君はおどろいた事にその時すでに中学校の友達と一緒に バンドを組みベースを担当していた。ところがそのバンドはチューリップやオフコースのコピー ばかりをやっていたそうで、やむにやまれぬロック初期衝動にとりつかれてしまったカガ君は そこに不満を感じていたらしい。
カガ君は俺といっしょにバンドをやろうというのだ!!
俺にロック・バンドのボーカルをやれというのだった。ギターのコードも満足にひくことのできない 俺にお前ならゼッタイできる、と。何ンでそう思うんだよと聞くと、んー 何ンとなくと答えるカガ君。
Oh!バカ少年達の青春ロケン・ロール。
だが二人はバンド「 P i c o ダンス 」のリーダー、ボーカリストとして後に日本青年館の ステージに登ることになるのだが、それはまだまだ先の話だ。

                    

                   

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