西井の詔 2009


〜其の参拾四〜(1月4日)


遅れましたが明けましておめでとうございます。
本年もどうぞ、どうぞ、ごひいきにお願いいたします。
今月19日はおなじみ水族館でワンマン・ライブをやります。
ぜひ足をお運び下さいませ。
正月だが俺は雑煮が食べられない。雑煮を食う金も無いとか、 今どき雑煮なんてチャンチャラおかしいぜとバカにしてるとか、 角モチショーユ味のヤツなんて雑煮じゃねえよなどと食文化の 違いにかたくなになっている訳でもない。俺は雑煮にかぎらず モチを食べるとウエェェェと吐き出してしまうのだ。
正月そうそうきたない話で申し訳ないが。
熱々のモチを口に入れた時のあの歯ざわり、鼻の奥に広がる モチ米の香り、のどをつるりとは中々通ってくれないあのねばり、 ずしりと胃にこたえる充実感、好き嫌いを通りこし、口に入れる だけで体が拒絶反応をおこすのである。
俺に言わせれば雑煮についての、モチが丸だとか、四角だとか、 焼いて入れるいや焼かない、みそ味だショーユ味だ、具は青菜に カマボコ鳥肉よ えーっボクの家じゃそんなの入らなかったなァ などといった話はもう本当どうでもいいささいな事である。
あの白い、やわらかい、そのクセ腰のある、ほのかに独特の香り のする、Japanでおモチと呼ばれる物体をクチに入れたその瞬間、 もうノドがシャッターを閉めてしまうのである。
子供の頃はもちろん食べた。いや半ば強制的に食べさせられた。
俺のオヤジは無類のモチ好きで、元旦の朝から雑煮のモチを 5,6個平らげた。田舎のモチってでっかいよぉ。自分がそんな 風に食べるモンだから、息子の俺にも同じように食えと言う。
食わなきゃ正月そうそう機嫌が悪い。何とかつき合うと、もう 全身モチにうまったような、自分自身がモチになって転がって いる気分だった。これが三が日ヘタすりゃ松の内まで続くのだ。
これがトラウマになってんのかなぁ、今ではモチ全てがダメだ。
人がうまそうに雑煮を食べていてもあまりうらやましいとも 思わない。
いいよ、俺は年越しソバの残りをつっつきながら酒のんでるから。
これはイジケてる訳では決してない。俺は無類のソバ好きで、 モリソバなら5,6枚は平らげてしまうのだ。

〜其の参拾伍〜(1月22日)


1月19日 大久保水族館に足を運んで下さったみな様、ありがとうございます。
俺のギター弾き語りをふくめ、全18曲全てオリジナルでおおくりしました。
楽しんでいただけましたか?

ステージ上で向井君がバラしてしまったが、そう、俺はこの10日間 肋間神経痛 で、もんどりうってのたうちまわっていた。
あるいはカメのようにちぢこまりで、手を合わせ なんまいだぶ、なんまいだぶ、神様どーか助けて下さい。と訳のわからんムシのイイ事を誰かに向かってつぶやいていた。
肋間神経痛というのは、胸まわり、肋骨の間の神経に感じる痛みという字のまんま の症状の事だが、なにしろ息をしても痛い。セキやクシャミをした時のゲキ痛は、 まるでキリを骨の間に突っ込まれたようだ。横になると痛いのでベッドで眠れない。 イスの上でモーローとしているのである。どうしようもなく眠くなり、思わずベッド にたおれ込むとゲキ痛が蒸気機関車のようにやってくる。
こんなド級の痛みは、 18才の時 この症状が初めて出て以来である。

その年の暮れ 俺は山川のりおと2人で夜行列車に乗っていた。

〜其の参拾六〜(2月4日)


山川のりおは俺とカガ君が始めたバンドでギターを担当していた。
後にのりおは、ディープ&バイツ、忌野清志郎&23's、ギターパンダ 等の活躍をする。

東京に活動の場をうつしていた俺達は、その年の暮れを郷里の岡山で 過ごそうとしていた。のりおが言うには"青春18キップ≠ニいうモノ があって深夜12時過ぎに東京駅を出る各駅列車で、東海道本線、山陽 本線を使うことなく、ローカル線だけをのりかえながら岡山まで行く、 これだとそうとう割安である。
どうせ正月はヒマだ、のんびり酒でも 飲みながら帰ろうとの事であった。ああそりゃいいや、と話はきまり、 大みそかはカウントダウンLIVEに顔を出し、ギリギリの時間までドン チャンさわぎをした。
そろそろ出かけなきゃなぁと、後ろ髪を引かれる思いで店を出た俺達 2人の旅姿は汗だくになったまんまのカッコウに、酒の一升ビンと しこたま買った缶ビールで両手をふさぎ、これがたよりだ、とのりおが もって来た時刻表だけだった。これを見ながらパズルをうめるように、 田舎の路線をのりかえていくのだ。
気分はT.V.の旅番組か、世界の車窓 からである。下地はさんざんつくってあるし、酒もしこたま買ってある。 いざ、行かん。

甘かった。東京駅は黒山の人だかりである。誰も彼もが大きな荷物を持 ってあわただしく走って行く。俺達もなんとか目的の列車を探し出した がすでに満員スシづめ通勤電車状態である。窓から景色をながめながら、 一杯やりつつ旅気分にひたる、どころか両手に重い酒をもち、ローカル 線のきつい揺れにたえながら、スシづめ状態を立ったまま6時間以上の 道ゆきを過ごさねばならなくなったのである。
俺達だけでなくまわりの みんなが暮れもドンズマリまでのスケジュールをこなしてこの列車に乗 ったのだろう、疲れ切ってうんざりした顔つきだ。もってる酒が重いから とっとと飲んじまおうとわずかなスキ間を見だしてのどに流し込んだが、 そんなの楽しくともなんともない。
のりかえのパズルは俺達のバカ頭ではうまくはめる事などできる訳がな かった。

何をマズったか、山の中のまったく何もない吹きっさらしの無人駅で、 乗るべき次の列車がやって来るのを、えんえん待ち続ける。 違う列車に乗ってしまい、もう一度さっきの駅までひき帰す。
東京、岡山間いったいどれくらいの時間をつかったのだろう。ともかく さんざんな旅になってしまい、だいぶ前から2人ともつかれ切って無言 である。言葉はなくても2人の心はひとつでともかく早く着いてほしい。 これだけだ。
最後の岡山駅に着いた時は嬉しいとかではなく、腹の底から安堵した。 生きて帰ってまいりました。

それじゃまたね、と、のりおと別れ、あったかい寝床に手足をのばし、 ドロのように眠りたいとそれだけを願ったその夜である。
神経痛は大きな ワシの姿をしていた。

「お前、本当バカだな」それはつぶやき、その巨大 なツメを俺の肋骨の上に突き立て、グシャリとつかんだのだった。

おー痛。

〜其の参拾七〜(2月21日)


俺の住む杉並区ではこのところ非常に火事が多いそうである。原因として ストーブ、タバコの不始末、放火が最多のトップを取ったり、取られたり しているらしい。先日もT.V.でトトロの館不審火で焼ける≠ニいうニュ ースをやっていたがあれも我が阿佐ヶ谷での出来事だ。中杉通りでは今も 焼け出されたトトロがコゲたタオルをにぎりしめ、うつろな目をしたまま 彷徨しているそうだ。気の毒に。

堀ノ内では俺もすぐそこで火事を見た。まだ日曜日の朝としては早いころ、 大通りから少しはなれた路地。俺の横をサンダルばきのお父さんがすごい いきおいで走って行った。通りの向こうでも走っている人がいる。
「おいっ」と男のどなり声が聞こえた。「いやあぁぁ」と女の叫び声がする。 いったい何事だよとびっくりしているとまた別の男が走って行く。赤い大き な固まりを手にもっている。消火器だった。
上を見た、空を見上げた。静かに、大きく、真っ黒なけむりが水に落とした 墨のように屋根の上に広がっている。視線をおろすと、まったくおだやかな 日曜の町。見上げるとすぐそこに大きく成長しようとしている黒いけむり。 ああ、火事なんだな、通りの向こう側で家か何かが燃えているんだなと了解 した。
俺は半笑いだった。人に不幸が起きている時、何を笑っている人だと、しごく まっとうな事を言う人もいるだろうが、俺はビビっていたのである。人はこわ いものに突然出くわすと笑ってしまうというのは本当にある事だ。 実は俺自身、数年前に小さなボヤを出してしまった張本人なのである。フラッ シュバックのように思い出した。
俺がボヤ出したと聞くと誰もがタバコの不始末を思い浮かべるのだろうが、 それ違う。これは杉並消防署がタイコ判を押してくれたのだから間違いない。 それより何よりそのボヤの中に俺はいたのである。 その夜、俺はいつものようにベッドに横になり、眠るまでの間、本を読んでい た。
部屋のけい光灯はつけていたが、それだけでは手元が暗いのでベッドの背もたれ にクリップでとめる安物のライトをつけていた。いつの間にかそのまま眠って しまったらしい。
ハッと目がさめた。が、マブタを開けたハズなのに何も見えない。キラキラ白く 明るい空間が広がっているだけだ。あれぇおかしいなぁと首を動かすと俺の顔の すぐ横に倒れたクリップライトからけむりが出ている。そのハダカ電球が、熱で ゆっくりとベッドを溶かしながらくい込み燃やしているのだった。そこからけむり がもうもうと出てそれがけい光灯の光で反射して光り、部屋を満たしているので ある。
飛び起きましたよ、そりゃ。水 水 水 水 とにかく水をかけなきゃ。コップ の水をかけた。ダメ ダメ ダメ やかんで水をかけた。けむりはおさまらない、 タライで水をかけるがやはりダメ。それでもともかく水をかけ続けた。
後で聞いた話だが、最近のベッドには特殊な素材を使っているものがあり、それは 熱を内にこもらせてしまうので上から水をかけただけでは意味がないそうだ。 メラリと火が見えたかと思うとそれはすぐにベッドの上で炎になった。部屋の中に たき火があるというのは、それはもう、やっかいなモンである。部屋の火災報知器 が鳴った。あーあ。同じアパートに住む人達がそれを聞いて飛んで来た。

「どうしたっ」「だいじょうぶですかあっ」
この緊迫した状況の中、何人かは半笑いである。
「えーっと、消火器、取ってもらえませんか」

俺も半笑いで答えた。消火器を受け取り燃えるベッドの前に立った。面倒な事に なるなとの思いがチラッと頭をかすめたがこのままだと、もっともっと、とっても とっても面倒な事になるのは目の前の火を見てれば明らかだ。ウリャッと消火器の ノズルをしぼった。幸いそれですぐに火は消え、後から消防車と消防士がやって来 たが鎮火の確認と現場検証をしただけで帰って行った。
実際に焼けたのはマクラと ベッド 1/5だけだった。

堀ノ内で空に広がっているけむりは相当デカイ、火元はいったいどんなあり様にな っているやら。俺もそっちへ走り出そうとしたが、エライものでもうすでに消防士、 消防団の姿が見える。サイレンがあちらこちらやすぐそこに聞こえている。せまい 路地だ、俺が走って行ってもヤジ馬となってジャマになるだけだと思いとどまった。 あっという間に消防士によってきせい線がはられ俺はその外へ出された。
そういえば、走って行ったサンダルばきのお父さんも半笑いだったような気がする。

〜其の参拾八〜(3月28日)


東京にも桜の開花宣言が出た。俺の住む町でも愛らしい梅の花が ポコリポコリと咲き、ジンチョウゲがむせるほど香っている。 鰆が食べたかったのだけど、鰤でガマンした。

俺の部屋の窓の上では今年も発情期を迎えた猫たちがひっきりなし にケンカだか、ナンパだか、デートだか、SEXだかで、ウギャウギャ ウニャウニャやかましい。ここらの猫はあまり軽やかではないようで 窓の上に登る時にもドッカラドン!とすごい音を立てる。 怒ってみたって反省なんぞするようなヤカラではないので放っている。

先日は短いが激しい雨と風があった。上がった後の空を見上げると まるで初夏のような青と白い雲だった。垣根の椿がまっ赤々だ。
俺は又、春を迎えたのだ。
どうにかこうにかいろんな冬を乗り越えたのだ。
俺は桜の下へ行くだろう。
シャバの事を忘れ花にだかれる快楽にひたりに。
坂口安吾は桜の下には死体がうまっていると書いた。 ボッティチェッリの名画“春”でも若い、はちきれんばかりの白い肌を した女神たちが、生まれて来た喜びを、春の到来を、歓喜し、祝福して いるすぐ横に、土色をして、年老いた死の女神が静かだが確信に満ちた 笑顔をしてひかえている。

大きく枝をのばした満開の桜は生命の勝利さえ感じさせる。
ハラハラと風にこぼれる花びらは即、死を思わせる。
春の真ン真ン中で「美」とか「理」とかはなんて小さくケチくさいモンだ ろう。

俺は今年も桜の下で呆けて酒を呑むのだ。

〜其の参拾九〜(4月28日)


酒呑みなモンだからしょっ中ゲリ腹である。

前日に飲んだ酒の種類で二宿酔いのしかたが違う、とは、特別呑ン平 にかぎらず、よく話し合われる事だが、ゲリのしかたも違っている ような気がする。データをとっている訳ではないが。 トイレを目指して一刻を争う場合が急にやってくる事がある。
本当に困るのは街中で突然、身体の中でSOSのサイレンがワンワン鳴り 始めた時である。なにしろこちらの都合などは一切おかまいなしに 「オイ!キサマ、オレは出ていくぞ、出てっくったら出ていく、開けろ、 開けろ、ここを開けやがれ」てなもンだから、こちらとしては「たのみ ます、お願いです。もう少しまって下さい、出て行くなとは申しません。 もう少しだけ、もう少しだけ、もう少しだけ・・・」とこの事態をどう しのぐか、ミケンにシワをよせ油アセを浮かべながら、あるいは顔の 筋肉をまったく使う事をやめてアホのふりをしながら、真剣に考えな ければならない。

昔、新宿の高層ビル街で働いていた頃は、あのあたりのトイレ事情は 熟知していた。今、この瞬間どこのトイレが最も近く、すいている 可能性が高いか。素早く判断して行動しないと、恐ろしい事故を起こ しかねない。郊外とは言わなくても町中で急にもようした時など コンビニエンス・ストアを見つけると本当にありがたあい気持ちになる ものだ。よくぞここで開店していてくれていた、と。

先日もそういう場面があったのである。助かったと胸をなでおろして トイレを借りた。カギをしめて腰をおろした、セーフ。するとすぐに ドンドンとノックがあった。コンコンと「入ってます」のノックを返 した。普通はこれですむものだ、あるいは少々時間の余裕をくれるも のだ。しかしこの時は俺のノックのすぐ後にさらに荒々しいノックで ドンドンときた。
ムッとしたがとにかくコンコンともう一度返した。するとなんという 事だろうまたもや荒々しいノックでドンドンときたのである。
ドンドン、コンコン、ドンドン、コンコン、応酬の最後は男の裏返った か細い声だった

「たのむ!お願いだから早く出てくれ」

魂の叫びである。はげしく俺の胸を打った。この勇気あるセリフには だれもが涙をさそわれるのではないだろうか。
何よりそれは1,2分前の俺自身の姿である。しかし、しかしである。 こちらとてただ今戦いの真っ最中である。誰にもこのリングを手ばなし てしまう事などできない。いやそりゃムリっちゅうモンですよ。なおも ドアをたたき続ける男に「うるさい、ちょっとまってろ」とついにこちら も言葉を発した。少々声にトゲがあったかもしれないが、俺の立場も 分かっていただけると思う。そっちも大変だろうがこっちも大変中である。 「あ、じゃかわったげるよ」なんていく訳がない。それでも俺は早くでた ハズである。

男の姿はなかった。気になってはなれた場所からトイレを見ていたが、 トイレに入って行く人はいなかった。まわりを見てもそれらしい男は 確認できない。他にトイレを求めてコンビニを出て行ったのか、バカな。 ここで待っているのが一番の早道じゃないか。しかもあんな声を裏返して せっぱつまったまま、どこへ歩いて行けるというのか。トイレはここにある。
今、開いたぞ、帰って来い。開放できるんだ。
だれもトイレには行かない。やはり男は行ってしまったのだ。おお神様。

〜其の四拾〜(5月3日)


キヨシロー 死んじゃったね。 子供の頃、T.V.で“雨上がりの夜空に”を演奏するRCサクセション を見て、跳びハネながら歌う子ザルのようなボーカリストを見て、 俺はすっかりイカれてしまったのだった。
突きささるような言葉をもつロックンロール。
合掌 ベイベー

〜其の四拾壱〜(7月2日)


そうです。ジャイケル・マクソンさんを殺したのは私です。
あの方の義父もそうでしたが、疲れ切ったココロとカラダには薬物、というのはいつの世にもならいというものでございます。ましてやなおそれにムチ打って、というのなら大量摂取はもう必然。やっぱり、もちませんでしたねえ。 毎度おなじみの廃品回収車でございます。
いつもご利用ありがとうございます。

〜其の四拾弐〜(8月6日)


夏、本番である。ギンと光る太陽。くっきりと青い空に浮かぶシャボンの泡のような白い雲。カゲロウの中に燃え上がる街並み。店先でスイカが売りに並んでいる。食べるのも好きだが緑と黒のストライプは見ているだけでも嬉しくなる。夏休みに入った子供達が遊ぶのだろう、ビニールプールに水が張ってある。女達もうす着になりすっかり身軽な様子でかっ歩して行く。海びらき、野球、花火、祭り、セミの大合唱も俺にはここちいい。
最もお気に入りの季節。夏の大空の下、俺はすんごく胃がいたい。うぐぐぐぐ。
もともと丈夫な方ではないが今年の夏はホント調子がよろしくない。家系もあるのだ。子供の頃のウチの食卓ではメシ食った後、必ず全員が胃薬を飲んでいた。他界した父も母も最晩年まで胃薬を手ばなす事はなかった。若い頃入院もしたことのある姉はかかりつけの医者に今も定期的に胃薬を処方してもらっているのである。
俺も小っちゃな頃から胃腸が弱かった。食が細く、せっかく食べても消化しきれずそのまま吐いてしまったりもよくしていた。洗面器をかかえてうんうんうなって嘔吐している自分を思い出す。
成長し、「まぁストレス性の胃炎だわな」と医者に診断され胃薬を渡してもらい、晴れて俺も西井家の一員となった。そしてもともとそんなかわいそうな胃袋に、俺はさんざんな事しかしないで生きて来たのである。
暴飲暴食、起きぬけのウィスキー、空腹時のウォッカ、ふかし続ける安タバコ。ジャンク・フード、冷たいビールに濃いコーヒー。
とうとう胃袋…様がお怒りになったのである。
あーこんな事を書いているだけで胃袋様のご機嫌がナナメになっているのがよく分かる。
いつもいつも胸ヤケがしていて、何か食べると大激怒である。あまりの痛さに吐いてしまった事もしばしばだ。
そんなもんだから食欲なんてまるでない。
何か食べなきゃと考える事さえ気が重い。
胃袋様「西井、お前まさか何ンか喰うンじゃねェだろうな」
俺「えっとですね、絹ごしドーフでも少々…」
胃袋様「チッ!ま、それくらいなら許してやるか」
もう、胃袋様をなだめる事だけで必死である。
喰えない、喰わない。当然バァッテバテです。人間、喰ってるモンでカラダ動かしているというのは真実である。
この前“大陸”のヤハタ君に「あれェ西井君、またやせちゃったァ?」と言われ、「いや、そんなことないよ、変わンないよ」と思わず返してしまったがズボシである。
アサノ君に「肉とかウナギとか、スタミナの付くもン食べましょうよ」と言われてしまう。
ヤマヤマなんだよ、食べたいのは。
T.V.のニュース番組などでさえも、なんだか「夏だ!カレーだ!」「焼肉で夏をのり切れ」「スタミナつったら、ウナギでショー」なんてのやっていて、高そうな店のうまそうな料理を画面でバンバン流している。
あきらめきって仙人のようでありたいと願う俺の頭のスミッコで食べたいと感じたその瞬間、身体のド真ん中に鎮座する胃袋様がジワリと不機嫌になっていらっしゃるのである。本当に食べたらどんな恐ろしい胃袋様のゲキリンにふれてしまう事になるのか。
ああ、カルビ・クッパが喰いたい。うげごくおお

〜其の四拾参〜(11月11日)


   

まなか 5才画 「西井匡広」


初対面だったのだが、何かが彼女の絵心をつき動かしたらしく、
いつの間にかこれを書いて俺に渡してくれた。
少しばかりカッコ良くしてあるそうだ。
まなか入魂の1作。

〜其の四拾四〜(12月24日)


寒いなぁ。もう年の瀬だものなぁ。金箔荘の大家さんも「1年が過ぎるのって早いですねぇ」と毎年この時期になるとこぼすセリフをくり返していた。今年はもうすぐ終わるけど、冬はまだ始まったばっかりだ。阿佐谷駅のホームから見ることができる富士山も、ボッテリと厚い雪化粧で真っ白だ。駅前広場の大ケヤキは下水工事のためにどうやら切り取られてしまったようだ。不粋な鉄の大きな箱が、かわりにそこに鎮座している。
あの大ケヤキの前で俺と向井君はHip-de-Dipの活動を始めるまでストリート・ライブを毎週やっていたのである。カミナリの夏の日も、雪の降る冬の日も。持ちよる機材は俺の裂けたアコースティック・ギターと向井君のZO-3だけである。若い人がやってるんじゃあないムサい男が2人でやっているのである、立ち止まってくれる人は決して多くなかった。
「うるせぇんだ、おマエら」と怒られたり、 「“北酒場”やってよ」とムリな注文をされたりもした。寒い日には指がかじかんで、押さえたEコードからGコードにうつるのが大変だった。向井君は指先が割れて血を出したまま演奏をしていたこともある。それでも俺達は嬉々として毎週、広場に集まり街に向かって大声で歌っていた。制服姿の女の子が3人寄ってきて、「この子、今日フラれちゃったんです。この子に1曲歌ってあげて下さい!!」と言う。“祭りの夜と何もない日々”をやったら礼をしてもらった。犬の散歩をしているおとーさんは毎回足を止めて犬といっしょに耳をかたむけてくれていた。Thanks。1万円札をひょいと渡してくれた人。その後2人で酒場へ向かったのは言うまでもない。アフリカ生まれのパーカッショニストがいきなり飛び入りしてくれたこともあった。「お前らはグッド・シンガー、グッド・ギタリストだ」とほめてくれた。言っている事の半分以上は分からなかったが。彼は日本語がダメで俺達は日本語以外は全てダメだったからだ。何度か、ハコダテ君、マンジロウ、オグラなんてのがや って来ていっしょに演奏した。
俺と向井君は話し合い、バンドを立ち上げる事にした。
それが今に繋がっているのである。何人かがバンドを出入りしたが、やがてエイジが加わり、浅野君が参加した。何度も演奏をかさねて俺達は少しずつバンドになっていった。Hip-de-Dip。
駅前広場にあの大ケヤキはもうない。でも俺達はあの時からずっと街に向かって歌ってきた。 来年も、そうする。

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