西井の詔 2014





其の八十三 十一月十一日   

  

さがしモノは何ンですか 見つけにくいモノですか
机の中も カバンの中も さがしたけれど見つからない

恐らくそんな所には無い。
サイフを落としたのである。
痛こん事。
あああああああああああ
俺はギターを落としたり、自分自身をマンホールの中へ落としてしまったりした事のある男だが、あのサイフを落としてしまうとはなァ。 中の現金がおしいのはモチロンだがモチロンだがモチロンだがモチロンだがモチロンだがモチロ… あれは母が生前、俺に買ってくれた最後の中のひとつであった。


。。。。。 今、母の位牌に土下座して謝った。
母は以前、夜空にかかる星の数ほどのお小言と説教をして、お灸をすえたものである。 ひとつひとつ思い出してしまい耳がいたい。昔も今も耳がいたい。ただ身にしみていなかったダケだ。

身にしみないと言えば、今年前半に集中した衝撃の記者会見のあの3人はどうだったのだろうか。各人それぞれ、いろいろと身にしみただろうか。しみる身が無いようにしか見えなかったが。
長髪にヒゲ、サングラスにステッキ。俺はてっきり目が悪い人なのかと思ったら悪いの耳だという。にも関わらず数々の交響曲を書き、ボランティアみたいな事もしてたりする。ずい分、付加価値ぶら下げてる人だなぁと思ってたらこの人、曲書いてません、譜面書いてません書けません。それはゴーストライターにやってもらってました。けっこういいギャラ払ってたと思いますという人だった。 何をする人なのでしょうこの人は。
耳が聞こえないのにすばらしいシンフォニーを次々と発表する天才。子供達にもやさしいおじ様。イメージを売っていた訳だ。ただ中身だけがガッポリとぬけ落ちてる。会見では付加価値おいて来たら別人だった。
レポーターの「今日はサングラスしてませんね、何故」に「かけて来るとしかられると思ったから」と答えていた。
ははははは小学生かよ。


ムーミンとかっぽう着のあの美人科学者の振りはばはどれだけのものだったろう。 夢の細胞STAP。この発見が世にもっと広く認められればノーベル賞は間違いないとマスコミもドンドン乗って持ち上げた。ワイドショーのコメンテーターが「常識の手垢がまだ着いていない若い女性がこれほどの事を成しとげたのに感激している」 と言っていた。
も少し手垢にまみれて来いよォ、とみなが思うのは本当にそのすぐ後である。
ロケットは華々しく打ち上げられ、落ちた。会見での「実験ノートは何冊あるんですか」の質問に「たぶん4〜5冊あると思います」
科学者とは思えないこのアバウトさ。自殺者が出たから無理だろうが、今年の流行語大賞は「ダメよダメダメ」なんかより「STAP細胞はありまァす」だと誰もが感じているハズだ。
STAP細胞とその論文は大々的に話題になった。ただSTAP細胞と論文が無かっただけだ。


号泣議員である。
ビートたけしが素人にあんな事やられちゃ芸人はメシの喰い上げになっちまうと言っていたが、何度観てもすばらしい、笑える。もう本人のルックス、声のトーン、そしてセリフどれもがドンピシャはまっていた。
ただ俺は初めて観た時は一瞬ビビって目をそらした。こいつは公衆の面前で本当に発狂してしまったのだと思ったのである。
「せっかく議員になれたのにィィ ウワァァァァァァァァァァン」
ホームレスになっているらしい。
金が欲しい。有名になりたい。人に尊敬をされたい。その望みをこの人達はいったん手にしていた訳だがしかしそれで喜ぶことの出来る身というのはどこかにあったのだろうか。カラッポに何入れてもただ落ちるしかない。


銀行のカードを止める為には何をすればいいんだろう。交番にも行った方がいいかも知れない。
面倒くせえなァ。金ねぇなァ。
母のお小言が今身にしみる。
お母さんゴメンなさい。うわああん。



其の八十二 十月十日   

  

8日の夜に皆既月食を俺も観た。ま、そんな事になってる日だとは知らなかった。たまたま7時過ぎに表に出ていたのだが、何故か通りにいる人がみな同じ方向を向いているのである。
すわ、事件でもあったのかと思ったが、人々の顔にその手のキンパク感はない。今 “みな同じ方向を” と書いたが、誰もがいつもの生活の中よりも少し顔が15度くらいだろうか、上を向いている。カメラを手にしている人も何人か見た。スマホを向けている人はもちろんもっと多くいた。 いったいみな何を観ているのだ。恐る恐るみなが観ている方向をふり返った。
空に月があり、形はひずんでいた。

“もう月食が始まってるよォ” 近くの女の人の話で訳を知った。
白い月は何かに呑みこまれているように下から減っていっていた。
昨日観た月はほぼ満月だった。今観る月は半月近い形だ。
それがみるみる内にツメ切りでツメを切った後のクズのような姿になり、空から月は消えていた。
月食が完成したのだろう。
変わりに夜空にはポンと丸い巨大なマロングラッセが浮かんでいた。






其の蜂十一 十月四日   

  

あっと言う間に空のいわし雲に夕日が映えるようになった。五日市街道の入り口付近から富士山の影を見た。

"さんま、さんま、さんま苦いかしょっぱいか"
みなだれもが佐藤春夫のこの一節を思い出し、さんま喰いたさにのどをカキむしるのだ。アナタはさんまに何をしぼってかけますか。かぼす、レモン、ゆず? 佐藤春夫はひとり孤独な食卓で、涙をしぼりながらさんまを喰らっているのだけど。
大根おろしは必ず欲しいよなあ。
醤油というモノは基本がさんまのような近海の青魚を食べるために存在しているのではなかろうか。うしお。元々がしょっつるのように魚を発酵させてそのうわずみの汁を使っていたモノらしい。


新ソバの時期でもありますね。俺はソバ好きであり、ありがたい事にここ阿佐ヶ谷にはソバ屋が多い。立ち喰いから十割手打ちの店まで様々である。
ソバ屋は昼間の2時からである。その時間でランチタイムを終えて準備中のカンバンを出している店があるが、あれはソバ屋ではなくてソバも出す食堂なのだろう。
酒がうまいのは朝、まぁ、昼。そして夕方である。まァ昼間っからソバ屋で酒呑んでる訳だが。
十割手打ちの店は個性的だ。ソバ粉で固めたウドンの様なモノを出す店、おつゆはなぜかしごくあっさりである。ソバ本来の香りを楽しんでいただきたいと主人の配慮だろう。こんなモノ喰えるか。
細く白く仕上げてくる店がある。ハシを入れて持ち上げると地球の動力に負けてブチブチ切れる。ハシにかろうじて残ったそのソバをつゆを使って食べる訳だが、ビーフンじゃねェんだ。


もう随分昔の事になるが、有名なソバ屋があった。今、主人はソバ粉を極めるために信州に移転したそうだ。
俺は入った事が無い。 店にJAZZが流れているというのだ。 なんだそりゃ。 例えばアナタはマイルスディヴィスが流れている店でソバをたぐったりできるのか。コルトレーンがかかっていればもうそれだけで食欲というモノはまぁ80%以上無くなる。ソバはうまかったのかも知れないがこんなセンスの無い店には入りたくない。 だいたいが寿司屋、天ぷら屋、ソバ屋にBGMは無用のモンである。


近所に何軒か好きなソバ屋があってどこも普通のソバ屋だ。それで充分で、それがとても幸せである。





其の八十 七月二十八日   

  

お暑うございますぅぅぅ。

みな様いかがバテていらっしゃいますでしょうか。
俺はといえば毎日が熱中症の手前でありメシを喰う元気もなく不眠症でイライラとした夜をすごしゲリラ豪雨に打たれて停電に巻き込まれ、天翔るあのイカヅチは罪深き俺をとうとう神が怒りの罰をあたえるための鉄槌を下さんと俺をねらってほいるのだという確信にいたっています。
金箔荘の前でセミが死んで転がっていた。セミの声なんてまだ聞いてないぞ。俺の留守の間は鳴いてましたなんて事はあるまい。
セミの季節はこれからだぞ鳴く前にゲリラ豪雨にたたき落とされたのかな。せつないことである。
善福寺川も今年もまたもやあふれ返り、ほとりにある、いつも庭中にバラをきれいに咲かせていたお宅も水につかりバラは爆撃のような雨に打たれて無残な姿をさらしていた。 もはや夕涼み、キンチョーの夏、日本の夏は遠く昔の事になってしまったかも知れない。
でも、やはり夏は楽しい。青い空に白い雲がポッカリ浮かんでいる。
子供たちは夏休みなのか汗ビッショリになって遊んでいる。
火事とケンカはお江戸の花だと言ってのけた俺たちである。この子達はそののちやっぱし、このゲリラと落雷様が無いとね、東京の夏じゃありませんよといってイキがってるかもしれない。





其の七拾九 六月二十五日   

  


金箔荘の出入り口にはアジサイが植えてあって、今年もポッコリ愛らしく咲いている。
この花は雨ツブを抱いている時がいっそう可愛い。
当たり前のことなのかもしれないが。

この部屋の一角に鎮座しているTV受信機がいよいよダメになって来た。小さくとも何しろブラウン管だから、そこそこ場所をとる。観たい番組なんて無い。CMなんてクソの垂れ流しだ。よくもマァここまで落ちたもんだテレビ。 古舘伊知郎の笑顔を観るだけでムシズと怒りが走る。
どこを回しても出ているジャニーズとAKB、男色と女衒じゃねェか。
もうTV受信機はいらない。ストレスがたまるばかりだ。

さよなら、ウルトラマン、仮面ライダーのテレビ。さよなら、ドリフターズ、コント55号のテレビ。さよなら、刑事コロンボと奥様は魔女のテレビ。さよなら、黄色い涙と傷だらけの天使のテレビ。
と、多少おセンチに書いてみたがやはりTV受信機を買う事にした。ニュースとお天気情報はいつも観て知っておきたい。
野球とボクシングも観たい。ピッチャーの投げるファストボールがどれだけホップしたか。スライダーがどのように曲がったか。それにバッターはどう反応したのか。 ボクサーの放った一撃で相手は倒れている。何が起こったのか多分リングのそばで観ている人も判らないだろう。TVだからツーシームの沈み方も、ボクサーの右ストレートの速さとそれでゆがむボクサーの顔を観る事が出来るのである。
安いのでいいからやっぱ買っとく、と知り合いにドンキホーテに勤めているヤツがいるので相場を聞くと、そりゃもうピンキリだと言う。
キリだよキリ。キリはどンくらいだってほこにこれまとの言ってんの。

調べてもらった。
9800円であると言う。9800円!あ、それでイイや、それ売ってそれ。しかし彼によるとその激安テレビ受信機はナナメからは観る事ができない。
はぁ?その画面と真正面でつき合っていればちゃんと映っているが、少しでもこちらが動けば画面は黒くにしか観えないそうなのだ。 何ンだそりゃ。TV受信機の前に正座して、押し頂くように画面を観ろってのか。昭和30年代かよ。その9800円はさすがにやめた。
後日、彼からいい品物が出た、現品限り14000円ハイビジョン。どっから観てもチャンと観られる。オマケにDVDもこれで観る事が出来る。
おぉ、ありがとう。それ買うそれ。と早る俺に彼は、ただね。見た目のがね、ちょっとアンタ向きじゃないというか、
コレ言っとかないとアンタ怒るかも知ンないからその品物を写メ撮って送るから観て判断して、しかも早く。 え、液晶TV受信機になんの見た目なのだろう、ブラウン管にくらべるとうすうすのペラペラなのに。

メールがとどいた。
俺が知っている今のTV受信機は画面だけがそこにあっていかにも無機質であり昔の木目調TV受信機とは思想が違い、そこがサッパリでとてもよいと思っていたのだが。 とどいたメールの写真を観るとその品物は俺の思いとはずぅぅい分ずれていた。

画面の天地左右に少々、余白というかのりしろがあって上手にミニー、下手にミッキーが笑っているのである。

もう一度書こうか。
そのTV受信機は画面を中央にしてディズニーのメインキャラクターのミッキーマウスが下手、ミニーマウスが上手にこちらを向いて笑顔を見せているのである。
何ンだコリャ、この品物は。例えばその画面にどんな悲惨な場面が映ろうが上手下手でミッキーとミニーがこちらを向いて笑っているのである。
DVDを観る事が出来るったって俺がエロDVDを観る事にしよう、上手下手でミッキーとミニーがこちらを向いて笑っているのである。 どうする?と探してくれた彼。まともに観られてDVD付きで14000円。これ以下はあるかどうか分かンないよ。1時間くらい煩悶した。
ミッキーとミニー、ミッキーとミニー、14000円、14000円…。
彼に電話して言った。それ買う、それ俺に売ってくれ。
彼はわざわざここまで品物を持って来てくれた。ブラウン管TV受信機のそれと比べるとその箱はとても薄い。
しかしその薄い箱いっぱいに下手にミッキー上手にミニーがこちらを向いて笑っているのだった。







其の七拾八 四月二十五日   

  

Hip-de-Dipは新しいドラマー"ゴメス"を加え再びカルテットとなった。

いっしょに演ってくれそうなドラマーを探す。それだけでも、まあ大変な事だと言うのは皆知る所だろうと思う。しかも俺達はただドラムをたたいて貰うだけではなくHip-de-Dipになってくれる人を望んでいた訳だからなおさらだ。

Hip-de-DipはトリオでLIVE演奏を続けながら出会いを待つ事にした。ずいぶん楽観的で、気の長いアホな話だが俺達は俺達でそれでよし、と腹を括っていたのである。
浅野はトリオの演奏のために、バカでかいエレクトリック・アコースティック・ベース・ギターを購入した。まるでチェロである。
再び言うが俺達は腹を括ってトリオで活動を続けていたのである。
ところが"ゴメス"はその日Stにやって来て、すんなりその場にいた。俺達4人は手探りでも演奏を楽しむ事が出来た。
「入る」と聞くと、「うん」と言った。


「その名はゴメス」
彼は相当おもしろい男で、深く謎の人でもある。
「ゴメスの名はゴメス」







其の七拾七 四月九日   

  

桜は開花したかと思ったらあっと言う間に満開になった。
朝に観るのは泡をふいたようなプリップリの桜だ。
夕に観るのは落ちる太陽に交わり火を吹いてゆれる桜だ。
夜には花びらを泣き散らし、急激に老いてしまった悲しみの桜だ。


桜。

T.V.で桜の名所案内みたいな番組をやっていると、ともすれば森山直太朗の桜?がBGMでかかる事がある。
あれ本当よしてほしいなぁ。せっかくの桜が台無しだよ。あの歌、本当気持ち悪い。昔から思っていたが、今で言うと辻仁成のサラサラのロンゲぐらい気持ち悪い。おお、やだやだ。
今年の桜は、いや昨年一昨年もそうだったかもしれない。
すぐそこにまだ梅が花を付けているのである。
じんちょうげも、あれこれなんだっけ、パンジー?なんてのもババーンとみな様そろいぶみで咲いているのである。
これでは梅の愛らしさも、桜の美しさも半減ではなかろうか、人の勝手なんだろうけど。
もう梅と桜の起承転結は昔のドラマになってしまったのかもしれない。
他界した母は郷里である岡山で十年以上さがして見つからなかった日本すみれを、子供の頃は普通に見ていたらしい。それが東京杉並の阿佐谷の道端で見つけたと言う。
本当に嬉しそうだった。
そこにしゃがみ込み、小さな小さな花を指し、「これが、すみれなんよ」と俺に教えてくれた。





其の七拾六 三月四日   

  

再び、今年1月に他界した三宅“土人”伸也の事を書く。

小学生のあの頃、俺はただの漫画ファンで伸也はもうなんだか漫画マニアだった。彼の家へ遊びに行かせてもらうと、ウワサにしか聞いた事のなかったコミックスや、当時世に名をとどろかせた「COM」「ガロ」といった漫画専門雑誌がそこいら中に転がっているのである。

「うわー、これどうやって集めたの」
「おう、まあ俺と、実兄でチョットずつ集めたんじゃが」

彼のお兄さんが大変な漫画マニアで自分でも漫画を描くのだった。 伸也が見せてくれたお兄さんの一枚は正にゲンコーと言っていいほどの出来映えに見えた。

「どうじゃ、すごかろうが兄貴の絵は」
「うん、すげえ」

それから俺達は手塚治虫がどーたらとか、赤塚不二夫がなんだとか、松本零士の話とか永島慎二等の事をおしゃべりしながら、誰々風、あの人っぽくといたずらがきをしていたのである。まァ絵のできばえは伸也が圧勝だった。 が、やがて伸也は漫画をかくのをやめた。 お兄さんが高校へ入り野球部へ入ったからである。伸也も野球を始めた。
伸也はお兄さんが大好きで、いつもいっしょにいていっしょの事がしたかったのである。 二人とも頭を丸ガリにして真っ黒になって野球をやっていた。

もちろん俺はやらなかった。

そのうち伸也の家にはロックのレコードが並ぶようになり、しじゅうそれがドでかい音で鳴っているようになる。
当然のようにエレキギターが登場し、兄弟二人とも、あ と言う間にそれをひきこなした。ちなみに俺が初めてエレキ・ギターをさわらせてもらったのがこの時である。
もうひとつ言うと伸也の家では昔からお母さんはオルガンをひき、お父さんはバイオリンをひいた。お父さんの顔は伸也そっくりだった。
二人はだんだんR&Bやブルースにのめり込むようになって行く。レコードのコレクションはすごいことになっていた。
お兄さんが仲間達と“土人バンド”を結成する。伸也も仲間を集め“土人バンド2”を立ち上げた。どちらももちろん本格的なブルースバンドである。
時々兄弟でいっしょにステージに登ると必ず「ブリング・イット・オン・ホーム・ トゥミー」をいっしょにギターをひきながら二人でハモった。すばらしいPLAYだった。
お兄さんは大学入学で上京して、伸也も何年かしてもちろん上京した。二人は東京でそれぞれバンド活動をしていた。

ところがお兄さんは重い病気になり岡山に帰ることになる。 2年前に伸也そっくりのお父さんがガンで入院し、お兄さんも入退院をくり返していたことから、二人の、いやお母さんをふくめ三人のために遂に伸也は東京を後にして岡山へ帰った。
お父さんは回復する事なくまるで伸也の事を待っていたかのように息を引きとった。 一ヶ月後、伸也が大好きだったお兄さんが車の単独事故で他界する。
伸也はパソコンを付けっぱなしにしたまま仮眠をとるため横になるといった風でそのまま帰らぬ人となったらしい。脳出血だった。 付けっぱなしのパソコンの画は色っぽいオネエちゃんだったそうだ。Yeah。


* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

伸也を思い出す時には必ずお兄さんといっしょに仲良く演奏する
「ブリング・イット・オン・ホーム・トゥミー」が耳元で鳴っている。
今も二人で演っているのだろうか。






其の七拾五   

  


三宅“土人”伸也は 1/26 AM6:00 に他界しました。
俺は行くことができませんでしたけど、通夜にはとても、たくさんの人が来てくれたそうです。 俺は伸也の最古参の友人のひとりです。小学校の同級生でした。 ヤツの事を語りたいと思うのだけど、ホント話は長くなると思います。
三宅伸也との思い出は、意外と思われるかも知れませんが、

二人でいっしょに漫画を書いていたことです。

また書きます。




其の七拾四    

  

東京シティはカラッカラなのである。
ンなもんだからカゼだらけである。
ノロだらけである。インフルエンザだらけである。
俺と浅野君は風邪が長引いてはいるが幸いインフルエンザにもノロウイルスにも感染していない。
が。俺の友人にはノロに感染したヤツと一家丸ごとインフルエンザで寝込んだ人々がいる。みな割と生活圏が近いのだけど、うつる、うつらないのキワ、とはいったい何ンなンだろうか。俺なんて手洗いもうがいもイイカゲンだし、もー真っ先にうつっていても不思議じゃないのに。
もちろん、俺は過去何回か、あるいは何回も、インフルエンザで寝込んだ事がある。これから、明日にも ドーン!とくる可能性は大だ。 新聞でノロウイルスの感染を防ぐためのいくつかの方法というのを読んだがその中に、アサリやハマグリなどの二枚貝はノロウイルスを保有している可能性が高いので必ず火を通して食べましょう、とあったのだが、アサリやハマグリを生でベロベロ食うヤツなんているんだろうか。まあ、いたとしてもレアな方々であまり一般的な話じゃないような気がする。


東京シティ知事選もカラッカラである。
あの素晴らしいトランクパフォーマンスをさく裂させ、その出来ばえと引き換えに職を退いたイノセさんはイシハラシンタローさんにそそのかされただけの人だったのかもしれない。 元首相のコイズミさんがそそのかしてる感がただよう、これまた元首相のホソカワさんも金の問題でビックリするくらいのさっさとさ加減でその職をホッポラかしたのではなかったか。 「原発ゼロ。YesかNoかの選挙だ」
昔とったキネヅカのようなセリフを出馬する訳ではないコイズミさんが言っていたが、原子力発電所をなくして行く、放射能ゴミをどうするか教える、という事を 「原発ゼロ」のたった一言をハタ印にして、中身のないカラッポにしてもらっては困る。ヤマモトタローさんがそうだったように。
元首相2人を持ち上げる、あるいはおもしろがる評論家連中もいてビックリするよ。「都民もこれを機会に原発の事を考えてみるのもいいでしょう」ってお前、もしホソカワさんが落ちたら都民は原発すい進派ばかりだという事になるというのか。
この人すぐ逃げちゃった人だよ。オリンピックの時には82才だよ。かつてオザワイチローさんに「みこしは軽い方がいい」と言われた人だよ。
また、ただのみこしじゃないのか。原子力発電所とそのゴミをなくして行くのはお祭りじゃねえぞ。

ドクターとマック、やっぱり今回も出るんだぁ。

みんな風邪ひくなよ!



           

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