再び、今年1月に他界した三宅“土人”伸也の事を書く。
小学生のあの頃、俺はただの漫画ファンで伸也はもうなんだか漫画マニアだった。彼の家へ遊びに行かせてもらうと、ウワサにしか聞いた事のなかったコミックスや、当時世に名をとどろかせた「COM」「ガロ」といった漫画専門雑誌がそこいら中に転がっているのである。
「うわー、これどうやって集めたの」
「おう、まあ俺と、実兄でチョットずつ集めたんじゃが」
彼のお兄さんが大変な漫画マニアで自分でも漫画を描くのだった。
伸也が見せてくれたお兄さんの一枚は正にゲンコーと言っていいほどの出来映えに見えた。
「どうじゃ、すごかろうが兄貴の絵は」
「うん、すげえ」
それから俺達は手塚治虫がどーたらとか、赤塚不二夫がなんだとか、松本零士の話とか永島慎二等の事をおしゃべりしながら、誰々風、あの人っぽくといたずらがきをしていたのである。まァ絵のできばえは伸也が圧勝だった。
が、やがて伸也は漫画をかくのをやめた。
お兄さんが高校へ入り野球部へ入ったからである。伸也も野球を始めた。
伸也はお兄さんが大好きで、いつもいっしょにいていっしょの事がしたかったのである。
二人とも頭を丸ガリにして真っ黒になって野球をやっていた。
もちろん俺はやらなかった。
そのうち伸也の家にはロックのレコードが並ぶようになり、しじゅうそれがドでかい音で鳴っているようになる。
当然のようにエレキギターが登場し、兄弟二人とも、あ と言う間にそれをひきこなした。ちなみに俺が初めてエレキ・ギターをさわらせてもらったのがこの時である。
もうひとつ言うと伸也の家では昔からお母さんはオルガンをひき、お父さんはバイオリンをひいた。お父さんの顔は伸也そっくりだった。
二人はだんだんR&Bやブルースにのめり込むようになって行く。レコードのコレクションはすごいことになっていた。
お兄さんが仲間達と“土人バンド”を結成する。伸也も仲間を集め“土人バンド2”を立ち上げた。どちらももちろん本格的なブルースバンドである。
時々兄弟でいっしょにステージに登ると必ず「ブリング・イット・オン・ホーム・
トゥミー」をいっしょにギターをひきながら二人でハモった。すばらしいPLAYだった。
お兄さんは大学入学で上京して、伸也も何年かしてもちろん上京した。二人は東京でそれぞれバンド活動をしていた。
ところがお兄さんは重い病気になり岡山に帰ることになる。
2年前に伸也そっくりのお父さんがガンで入院し、お兄さんも入退院をくり返していたことから、二人の、いやお母さんをふくめ三人のために遂に伸也は東京を後にして岡山へ帰った。
お父さんは回復する事なくまるで伸也の事を待っていたかのように息を引きとった。
一ヶ月後、伸也が大好きだったお兄さんが車の単独事故で他界する。
伸也はパソコンを付けっぱなしにしたまま仮眠をとるため横になるといった風でそのまま帰らぬ人となったらしい。脳出血だった。
付けっぱなしのパソコンの画は色っぽいオネエちゃんだったそうだ。Yeah。
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伸也を思い出す時には必ずお兄さんといっしょに仲良く演奏する
「ブリング・イット・オン・ホーム・トゥミー」が耳元で鳴っている。
今も二人で演っているのだろうか。
其の七拾五
三宅“土人”伸也は 1/26 AM6:00 に他界しました。
俺は行くことができませんでしたけど、通夜にはとても、たくさんの人が来てくれたそうです。
俺は伸也の最古参の友人のひとりです。小学校の同級生でした。
ヤツの事を語りたいと思うのだけど、ホント話は長くなると思います。
三宅伸也との思い出は、意外と思われるかも知れませんが、
二人でいっしょに漫画を書いていたことです。
また書きます。
其の七拾四
東京シティはカラッカラなのである。
ンなもんだからカゼだらけである。
ノロだらけである。インフルエンザだらけである。
俺と浅野君は風邪が長引いてはいるが幸いインフルエンザにもノロウイルスにも感染していない。
が。俺の友人にはノロに感染したヤツと一家丸ごとインフルエンザで寝込んだ人々がいる。みな割と生活圏が近いのだけど、うつる、うつらないのキワ、とはいったい何ンなンだろうか。俺なんて手洗いもうがいもイイカゲンだし、もー真っ先にうつっていても不思議じゃないのに。
もちろん、俺は過去何回か、あるいは何回も、インフルエンザで寝込んだ事がある。これから、明日にも
ドーン!とくる可能性は大だ。
新聞でノロウイルスの感染を防ぐためのいくつかの方法というのを読んだがその中に、アサリやハマグリなどの二枚貝はノロウイルスを保有している可能性が高いので必ず火を通して食べましょう、とあったのだが、アサリやハマグリを生でベロベロ食うヤツなんているんだろうか。まあ、いたとしてもレアな方々であまり一般的な話じゃないような気がする。
東京シティ知事選もカラッカラである。
あの素晴らしいトランクパフォーマンスをさく裂させ、その出来ばえと引き換えに職を退いたイノセさんはイシハラシンタローさんにそそのかされただけの人だったのかもしれない。
元首相のコイズミさんがそそのかしてる感がただよう、これまた元首相のホソカワさんも金の問題でビックリするくらいのさっさとさ加減でその職をホッポラかしたのではなかったか。
「原発ゼロ。YesかNoかの選挙だ」
昔とったキネヅカのようなセリフを出馬する訳ではないコイズミさんが言っていたが、原子力発電所をなくして行く、放射能ゴミをどうするか教える、という事を
「原発ゼロ」のたった一言をハタ印にして、中身のないカラッポにしてもらっては困る。ヤマモトタローさんがそうだったように。
元首相2人を持ち上げる、あるいはおもしろがる評論家連中もいてビックリするよ。「都民もこれを機会に原発の事を考えてみるのもいいでしょう」ってお前、もしホソカワさんが落ちたら都民は原発すい進派ばかりだという事になるというのか。
この人すぐ逃げちゃった人だよ。オリンピックの時には82才だよ。かつてオザワイチローさんに「みこしは軽い方がいい」と言われた人だよ。
また、ただのみこしじゃないのか。原子力発電所とそのゴミをなくして行くのはお祭りじゃねえぞ。
ドクターとマック、やっぱり今回も出るんだぁ。
みんな風邪ひくなよ!